高校野球を見ていた。
作新学院(栃木県)と学芸館(岡山県)の試合。
【猛攻】作新学院、19安打18得点で準々決勝進出!https://t.co/dJZ4XrsiP2
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 16, 2019
作新学院(栃木)が18―0で岡山学芸館(岡山)を下して大勝。投げてはエース林が8回2死まで無安打投球を披露するなど圧倒した。 pic.twitter.com/dhXKIGD4zM
以前から思っていたが、この試合を見ながら改めて思ったことは、野球はピッチャーに依存してるなということだ。
野球の場合9人で試合をしてると思いがちだが、役割分担にはかなり偏りがある。
草野球の場合、試合が成立する条件はピッチャーがストライクを投げれること。
良いピッチングをすること以前に、ストライクが投げられないと試合が成立しないので、子供の試合から高校野球のレベルまでだとチーム内の最も運動神経が優れた子がピッチャーを任されることが多い。
そして、ピッチャーを任される子は同年代の子の中では成長が速い子が多く、そういう子は基礎体力も高いので四番バッターを務めることも多い。
どんなスポーツでも、エース選手や花形プレーヤーという存在はいるが、チームプレーをする競技でたった一人に試合の成否(勝敗ではなく)を依存するスポーツは野球以外には無いように感じる。
作新学院と学芸館の試合を見てると、滅多打ちに遭った学芸館のピッチャーだが、少なくともストライクを投げられたからこそ打たれたという意味では見事に試合を成立させていたのだと言える。
ビジネスの世界には、掃いて捨てるほどの自称トップセールス がいるが、会社がトップセールス一人に依存して成立することはまず無い。
例外があるとすれば、中小企業で社長自身がトップセールスを兼ねてる場合だけだろう。
高校野球のように負ければ後が無い状況で、滅多打ちに遭ってるピッチャーはマウンド上で何を思うのだろうか?
たった一つの致命的なエラーでチームを敗北させる野手も辛いが、たった一人で滅多打ちに遭うことを受け止めなければいけないピッチャー、どちらにも負ければ賊軍が付いて回ることを考えると、高校野球というのは爽やかというよりは残酷な要素もあるなと思える。
そう言えばと思い出したのが箱根駅伝。
優勝争いや上位争いが注目されるが、その陰でシード権争いのように相手との戦いもあれば、襷を繋ぐことのみに全力を尽くす時間との争いもある。
脱水症状などで急激な体調不良が発生し棄権を余儀なくされるような場合、チームスポーツでありながらたった一人に依存していたことを思い知らされる。
世の中には、そんなつもりはないのにたった一人に依存してることがごく稀にある。
高校野球のピッチャーの球数制限の議論を見ても、ピッチャーは特別の存在だと分かる。
こんなことを改めて思ったのは初めて。
残りの高校野球は、違う見方をしてみたい。