社会問題と言って何を連想するだろうか?
最近だったら煽り運転なんて連想するかもしれない。
Wikipediaでは社会問題のことを、『一般に広くその存在が知れ渡っている未解決の普遍的な問題・懸案事項のこと。』と説明している。
Wikipediaの定義に加えて、当初は良いことだと思われたり、便利だと思われたりしたからこそスタートしたのにやがては社会問題になった事柄で現在の問題でもあるものを探してみた。
今日次のようなニュースを見た。
ペットボトル入り飲料水の販売禁止 ── サンフランシスコ国際空港で Aug. 23, 2019
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サンフランシスコ国際空港では、8月20からペットボトル入りの飲料水が販売禁止となった。
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搭乗者は、再利用可能な水筒を自分で持ち込むか、空港で購入することができる。保安検査場を通過した後のエリアに設置された「給水ステーション」での補給も可能。
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フレーバーウォーター、ジュース、炭酸飲料などは、まだペットボトル容器のものも販売できる。水であってもガラスやアルミ缶などの容器であれば販売できる。
プラスチックゴミの海洋汚染が深刻な社会問題になったことを受けての措置で試行錯誤の第一歩の一つだ。
ペットボトルは1973年に特許が取得され、日本では1977年に醤油の容器として開発され、1982年に飲料用への使用が認められたとWikipediaには書いてある。
ペットボトルが出てくるまでは、液体の容器はガラス瓶が主流だった。
ガラス瓶に不都合があるとすれば、衝撃を与えると割れることであり、それなりの重量があることも輸送や運搬や取り扱いに不都合な影響を与えただろうと思える。
そんなペットボトルは、プラスチックという括りで大きな社会問題になっている。
現在顕在化してるのは海洋汚染だが、微細に粉末化したプラスチックゴミが体内に取り込まれた場合の不都合はまだ研究すら始まってなさそうだ。
GoogleTrendsで検索可能な2004年以降でプラスチックゴミを見ると、
最近急激に盛り上がっているのは、報道でプラスチックゴミが漂う海の映像が頻繁に出るようになったからだろう。
それ以前は、プラスチックゴミは分別収集やレジ袋が検索の中心だった。
このグラフに海洋汚染を加えると、
グラフから伺える印象だと海洋汚染というのは最近は大きな関心は持たれてないことが分かる。
海洋汚染という認識よりも、プラスチックゴミの問題と認識されているのだろう。
関連するキーワードを見ると、
東日本大震災以降は、海洋汚染と言えば放射能汚染で、都市部の人しか関心を示してないようだ。
ペットボトルに比べるとプラスチックは歴史は古いが、普及という意味では1960年以降。
世の中に便利を提供した新素材は、50年程度を経過すると負の側面が牙をむき出したと言えそうだ。
ペットボトルの普及とシンクロするように24時間営業が増えだした。
社会や生活のインフラが充実してくると、警察や救急や消防といった公的な存在だけでなく、民間でも裏方作業や保守やメンテナンスなど24時間体制が必要になってくると移動や輸送を支えるためにガソリンスタンドやドライバー相手の飲食店の24時間化も広まることになり、コンビニが24時間化した後は一般人のライフスタイルそのものが変化して行ったのが1980年代の半ば頃。
夜起きてるのは泥棒だけだと言われた時代はいつの間にか終わっていたのだ。
余談だが、24時間化が普及するとお化けや幽霊が怖いものではなくなったような印象がある。
夜は暗いのが当たり前だった時代には、お化けや幽霊だけでなく犯罪など悪いことも夜起きていたようなイメージがある。
24時間化の普及は、犯罪などの悪いことも24時間化させたが、もともと夜に生きていたお化けや幽霊にとっては居心地が悪くなっただろう。
それから40年超の現在、24時間化は見直しの動きが出ている。
きっかけは東日本大震災で電力が危機に瀕する中でエネルギーの無駄使いが嫌気を持たれたからであり、24時間化が人間の心と体に悪影響を及ぼしてると分かったから。
便利や快適で豊かを描いて取り入れたモノや仕組みが、40〜50年経つと反省と教訓の社会問題に繋がるのは興味深い。
ネット上にはさまざまな〇〇年周期説がある。
正しいと思ったことが間違いだったと分かるまでに50年かかる、人類はこのような歴史を繰り返しているのかもしれない。