違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

京アニ被害者の実名報道に感じる被害者にならないことのありがたさ!

7月18日に発生した京都アニメーションの放火件件、GoogleTrendsで見ると発生直後は盛んに検索されていたようだが現在は落ち着きを取り戻してるように見える。(あくまでも検索数的な話として)

 

GoogleTrends「京都アニメーション」

 

しかし、メディア上では今でも京都アニメーションの名前はよく見る。

 

今話題になっているのは、放火事件の被害者の実名報道が行われたことに対してだ。

 

この実名報道に対してリアクションしてる方の中には怒ってる方が多い。

 

この方、メンタリストのDaiGoさんもその一人だ。

 

 

見れば分かるが激怒だ。

 

DaiGoさんが被害者の実名報道に対して怒りを感じているのは、名前が公表されるとその瞬間から遺族に対して無遠慮な取材が始まるからだ。

 

ここで区別しておきたいのは実名報道と実名公表の違い。

 

実名公表は警察が行うが、被害者遺族に対して一定の配慮は見せつつも最終的にはメディアを味方につける方を選ぶ傾向にある。

 

DaiGoさんが怒っているのは、実名での報道とその取材のあり方。

 

取材に問題があるとされる代表格は、新聞テレビ週刊誌などの旧来メディアで、詳しくはYoutubeを見てほしい。

 

 

煽り運転の宮崎文夫が実名が公表された途端に丸裸にされたが、宮崎の場合は加害者でかつ世間からも嫌われていたから問題視されないが、おそらく同じ種類の取材が被害者遺族にも行われるとすればとても容認できない。

 

そして、被害者遺族を守るための唯一の方法が実名公表を控えることなのだが、そうなるとまた別の不都合が起きるのは間違いない。

 

公表されてることの中から何を選んで公開するかの判断には、何よりも分別とモラルが必要だとDaiGoさんは言いたかったのだ、そしてその判断がつかないならば公開しなければ良いのだが、現在の旧来メディアは全てに優先するのが反響を得ることで、それは儲けを優先することでもある。

 

 

自分がされたら嫌なことは他人にはしない、という人がいる一方で、それって法律違反じゃないですよねと言いながら人の嫌がることを仕事にする人達がいる。

 

後者のような人物とは関わらないことが肝心なのだが、関わるキッカケが被害者になったということだったら結構逃げられないのかもしれない。

 

そう考えると、被害者にならないという生き方はすごくありがたいことだと分かる。

 

何かあったら頼れば良いと思っている法律や保険は、いざという時には役に立たないことがあると思っておいた方が良い。

 

合言葉は、君子危うきに近寄らず。

 

 

そう考えると、京アニの被害者はどうすれば良かったのだろうか?

 

今日のエントリーは何の救いにもならない話になってしまった。