軽微な罪なのに実名で報道される場合には、実名の取り扱いは慎重さを求められるべきというネガティブなニュアンスで取り上げられる。
その一方で、匿名での誹謗中傷も問題視されるようになっている。
匿名での情報発信には、嘘や無責任が許容されるという勘違いが生まれやすい故の結果とされがちだ。
匿名発信で誹謗中傷を受けた側に、被害が発生した場合の回復のハードルが高いことから、匿名で発信される情報の信用度は低いとされ実名で発信される情報より劣るとされやすい。
6日にGoogleアルゴリズムのアップデートがあったけど、自分のお客さんを見る限り「誰が書いた記事なのか」がはっきりしてるページの順位が爆上げもしくは現状維持した印象。
— 滝口健太郎@WEBマーケター・デザイナー、Kindle出版・SEO (@takiguchi_ss) 2020年5月8日
とはいえ自分のお客さんはほぼ何かの専門家で肩書き+本名が前提条件だが。
記名が必須になりそうな流れを感じる。
しかし、実名での情報発信と当事者の実名を報道することは、大手マスコミでも使い分けの基準が曖昧なままその時々で立場を使い分けている。
これだけ麻雀問題に関して記者側の実名報道が頑なに拒まれる実情を見るに、報道側が普段主張している「真実性を担保するための実名報道」「報道機関の責任で実名か匿名か判断」「事件性を刻むため」が虚言でしかないことが改めて確認できる次第であります。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) 2020年6月2日
実名vs匿名の争いは、不毛の争いの様相を呈しながらも実名に分がある展開に時代は流れてるように見えていたが、あるツイートのお陰で匿名の存在意義が再認識させられた。
芸能人のツィターコメントに違和感を感じていたが、これ見てスッキリした。
— 横浜瓦斯 (@fctokyo_cow) 2020年6月3日
2ちゃんは時々すげー納得する事を言う奴が出てくるから面白い。 pic.twitter.com/qaf3PfjPjc
これはとてもおもしろい意見で、少し誇張して要約すると、ネット空間とはそもそも匿名の空間として広まって、その環境に適応してルールが生まれてたところに、後から実名を振りかざした侵略者が参入してきて、匿名は卑怯だという論を展開してネット空間の乗っ取りを企ているという話だ。
さらに、発言で世間の注目を集める実名の有名人に対して、同じ論を匿名で展開して世間の注目を集めることができるかやってみろ、と挑発してるのだ。
何かテーマが発生すると、そもそもと成り立ちを振り返ることはよくあるが、ネット空間の一般化がWindows 95以降始まったとするならば既に25年が経過しつつある。
時代の変化とでもいうのだろうか、今のところ分が悪い匿名勢力は、今後勢いを盛り返せるのだろうか?