違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

怪人20面相や「かい人21面相」に感じるプロフィール不明というミステリアス!

久しぶりに江戸川乱歩の少年探偵団を読んでみた。

 

タイトルに懐かしさを感じ、手に取ってページをパラパラめくるとさほど古臭い印象を受けなかったので読んで見ることにした。

 

少年探偵団などの明智小五郎シリーズやルパンやシャーロックホームズに夢中になったのは小学校の5、6年の頃だったと記憶している。

 

中学生になると松本清張などを読みだしたが、松本清張は大人になってからも時々読んでいた。

 

犯罪の描かれ方も、幼稚なものほどトリックに拘るが、大人が味わう作品だと動機や背景にある人間関係の描写が中心になる。

 

人間関係の描写に深みを与えるのはプロフィールの描き方次第だ。

 

そういう意味では、少年探偵団や怪人20面相は大人が楽しむには幼い印象があったが改めて読むと結構楽しめたのだ。

 

 

 

現代の作品の多くはリアリティを大事にするからだろうが、事件はなぜ起きたのかという人間ドラマを中心に描かれるが、これに対し少年探偵団では怪人20面相の突然の犯行予告から始まるところが逆に新鮮で、動機に人間ドラマが無くても事件は起こるところがかえって現代的とすら思えるのだ。

 

そして随所に子供っぽい荒唐無稽な表現もあったりするのだが、読んでると脳内で舞台演劇のような世界観が出来上がるのでリアリティは無くても臨場感はすごく感じられるのだ。

 

リアリティの有無にも関係するのだろうが、登場人物のプロフィールも分かるようで分からないことが多く年齢すら不明な場合が多いのだが、不思議とそのことが気にならない。

 

怪人20面相を真似したかい人21面相を覚えているだろうか?

 

一般的にはグリコ・森永事件として知られてるが時効が成立したこともあり犯人のプロフィールは不明だ。

 

プロフィールが不明な人が登場するとミステリアスの度合いがグンと増すが、現代の人間関係でプロフィールを曖昧にした匿名性が許されるのは表現行為やSNSの一部であり、プロフィールにウソが多い代表格が詐欺だ。

 

最近のビジネスでは客のペルソナ(≒プロフィールみたいなもの)を設定し事業を展開することが多いように、人間の行動パターンがプロフィールに依存するという考えが定着している。

 

現代はプロフィールを公開し、プロフィールを競い合ってるように見えるが、それって長続きしないような気がしてきたというのが、少年探偵団や怪人20面相を読んでの感想だ。

 

 

現代に欠けているのはミステリアスだ。

 

ミステリアスを演出するのはプロフィール不明かもしれない。