「仕事は遊びじゃない」
昔よく聞いたことばだ。
今でも生きているだろうし、ブラックな現場では使われる頻度も高いだろう。
仕事と遊びの究極の違いは昔だったら、仕事をすればお金が得られるが、遊びではお金が得られないに尽きるだろう。
しかし、そこはオブラートに包まれ曖昧にされながら仕事と遊びの違いは、取り組む姿勢の真剣さや間違いやミスの許され無さにすり替えられながら仕事の方が遊びよりも数段厳しい世界だと伝えられてきた。
現代でも通用するかもしれないが、あくまでも昔の格言が引き継がれたようなものだ。
仕事がお金を手に入れるためのものだとすると、現代は昔に較べると効率の悪さも目立つが、それは拡大する格差がもたらすお金の流れの不均衡の結果だ。
昔の格言めいた「仕事は遊びじゃない」が使われ始めた頃は、金は天下の回りものと呼ばれるように金の流れには均衡性が感じられ、金がどこを流れているかが見えやすかった。
翻って現代では、金がどこを流れているかが分かりづらい時代になったと言える。
だから、金の流れが見える(≒読める)人と見えない(≒読めない)人の間の格差が拡がっているのだ。
こうなると、先入観の前提となっていた「仕事は遊びじゃない」を疑ってみることも必要かもしれない。
そもそも仕事を真剣にやってる人はどの位いるのだろうか?
28の法則とかパレートの法則とか言われる説によると、会社に貢献してる社員は2割で残り8割は貢献度が低いか無い社員ということになる。
8割の社員の真剣さをどう解釈すれば良いのだろうか?
多くの場合、社員としての貢献度はもたらした業績や結果で判断され、費やしたプロセスで評価されることはない。
つまり、結果さえ出せれば不真面目でも構わないし、どんなに真剣でも結果が出なければ全くダメの烙印を押されるのだ。
こうなると、「仕事って何なんだ?」と疑問が湧くだろう。
そこで考える必要があるのが反対側に位置してるとされる遊びだ。
現代の遊びや趣味の領域って、真剣に取り組んでるような気がしてくる。
真剣というよりも、無我夢中に近いのめり込みが感じられる人が増えている。
遊びに取り組んでる気持ちで仕事をすることができたら、さぞかし成果が上がるだろうと心の中で思ってる人も多いだろう。
ということは、遊びのような気持ちで取り組めることを仕事にすれば良いことになる。
注意して欲しいのは、遊びを仕事にするということとイコールではないかもしれないという点。
好きとか興味や関心があるというのは重要な要素になる。
そして、最も大事なことはそこにお金の流れが感じられるかだ。
金の流れとは『需要』。
この世で興味を持っているのは自分一人ということだったら需要は生まれない。
この辺のさじ加減の見極めができるようになり需要を読むことができれば遊びと仕事の境目は無くなるはずだ。
需要さえ読めるようになると、仕事で取り組んでる人は遊びや趣味でやってる人には絶対に勝てなくなる。
需要を読むとは、人の気持ちを読むことに通じるだろう。
恋愛のテクニックで停滞期を打破するために有効度が高いと言われている押してもダメなら引いてみろから連想して、仕事と遊びという正反対をこじつけてみた。