違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

osmo pocketと巡る道東の旅(バスツアーだけど):その2

ツアー2日目で、撮った写真の多くがバスの車窓越しのためか良い写真が撮れたと思っても妙な反射があったりして変な写真が多かったので、バスガイドさんの話で印象に残ったものを披露したい。

 

北海道の歴史に興味がある方にとっては当たり前過ぎる話かもしれないが。

 

アイヌのような現地の人を除けば北海道の歴史は開拓者の歴史と言われることが多い。

 

開拓者として移住した人達や屯田兵のような方々が開拓者として持ち上げられることが多いが、開拓の一番困難な部分を担っていたのが囚われた犯罪者達だったらしい。

 

広大な北海道の農地や道路を見てると重機を使っても大変な作業を手作業で開拓した人達の苦労が偲ばれるが、開拓を志した人々にとっては夢や希望が苦労の向こう側には見えていたはずだ。

 

しかし、悪いことをした報いとはいえ囚人にとっては夢も希望もない作業が開拓に従事させられることだったのだ。

 

夢も希望もない過酷な重労働で命を落とす囚人は多数いたが、彼らは満足に弔ってもらえなかったらしい。

 

死体の上に土をかけるだけで、死体が増えるたびにその土の盛り上がりが大きくなる、これを“どまんじゅう”と呼んだそうで、おそらく漢字で書くと土饅頭となるのだろう。

 

検索すると、そもそもの由来はグリム童話だと出る。

 

開拓に従事させられる囚人は脱走する者も多かったらしいが、未開の北海道で逃亡生活がうまくいく可能性はほとんどなく、クマを始めとする野生動物の餌食になったり凍え死んだりで終わるらしい。

 

そんな話をバスガイドさんが言いながら、今はその“どまんじゅう”を弔うようになってるという話をしてくれた。

 

網走に向かう道中で、「そこがここです」と教えてくれた場所の写真が次のもの。

 

網走 どまんじゅう1

網走 どまんじゅう2

 

網走 どまんじゅう3

 

網走という土地は刑務所が出来ることで発展してきたが、重罪人が送られるイメージがある網走刑務所だが、現在は重罪人は来ないらしい。

 

 

現在の網走は知床にかけて冬に訪れる流氷のイメージで売り出し中だ。

 

網走にはオホーツク流氷館がある。

 

オホーツク流氷館1

オホーツク流氷館2

 

流氷館の屋上から知床半島にかけてをosmo pocketのパノラマ写真(3x3)で撮ると、

 

オホーツク流氷館パノラマ



 

 

観光は、知らなかった歴史に触れると学びになることが楽しく感じられるから単なる遊びに終わらないことが不思議に感じられる。