違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

世の中には理不尽がいっぱいある!

今日報じられていた二つの話題を伝えたい。

 

大阪で行方不明になっていた小学生の女の子が発見され、そのニュースを報じる中に次のようなものがあった。

 

 

 

もしや、『別の女の子』とは今年の9月に山梨県で行方不明になった小学1年の小倉美咲ちゃんかもと思ったが、別の子だった。

 

誘拐や行方不明というのは報じられてる以上に多いのかもしれないと思うと社会に潜んでいる闇の恐ろしさが改めて感じられる。

 

 

 

 

昨日来日されたローマ教皇が今日長崎から広島と被爆地を訪れられた。

 

今回の来日は高校生との約束を果たすため。

 

 

 

この時の訪問で、教皇が来日の意志を示したのは高校生が持参していた1枚の写真のせいだった。

 

ローマ教皇 「焼き場に立つ少年」の写真家の家族にあいさつ: NHK

焼き場に立つ少年

 

 

死んだ弟を背中に背負って火葬の順番を待っているその姿は、戦争の無益さを教えてくれるのに十分だが、写真では健康に見える兄である少年も被曝の犠牲者であることが判明した。

 

“焼き場に立つ少年”をさがして : NHK

これまでNHKでは、最新のデジタル技術を使い、数多くのモノクロ映像のカラー化を行ってきました。カラー化するために画像を分析していくと、少年の体に、ある異変が起きていたことがわかりました。

黒い瞳の部分の横に、さらにグレーのかかった部分があることが分かったのです。これが何を意味しているのか。

 

 

 

48年にわたり広島などで被爆者医療に携わってきた、医師の齋藤紀さんは、目のグレーの部分は、出血したあとだと考えられると言います。

写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。

 

 

 

少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました。

 

 

改めて世の中には理不尽がゴロゴロ転がっているなと感じられる。

 

ささやかな幸せすらほど遠いものに感じながら生きてる人がいることを思わずにはいれない。

 

幸せとは、あれもこれも欲しがりそれを手に入れることだと思う風潮が根付いているが、それは幸せから遠ざかることなのかもしれないと思えてくる。

 

新しいものを手に入れることに幸せを感じるよりも、持っているものをきちんと理解できることの方が幸せには近いのかもと思わせられた1日だった。

 

 

 

ところで以下は余談だが、

 

ローマ教皇とローマ法王はどう違うのだろうか?

 

少し前までローマ法王と呼んでいたような気がするが?

 

詳しくは検索すればたくさん情報は出るが、11月20日に日本政府が急遽呼称をローマ教皇に統一すると決めたからだった。

 

これも裏読みしたり深読みすると謎めいたドラマができるような気がする。