窓から外を見ていて景色がキレイだと外に出てみたくなる。
しかし外に出ると、窓越しに見た景色は魅力的だったのに、外に出て見る景色は途端にありふれたものに感じられる。
あるいは、良い景色や風景だなと思って写真や動画を撮ると、撮ってる最中は結構盛り上がるが後で撮ったものを見ると、「こんなんじゃなかったんだけどな」と思う自分がいたりする。
このような違いは誰でも感じているのだろうか?、と思いながらも自分のことくらい自分で理解できるようになる必要があるなと思い考えてみた。
キッカケとなったのはこの記事。
イギリスの画家 デイヴィッド・ホックニーが iPhoneとiPadで描いた画集 TASCHENから登場
120枚もの絵をiPhoneとiPadで描いたそうで、彼のヨークシャーの家の窓から見える四季の移ろいを表現している。
ここに掲載されていた絵を見ていてふと思ったのが、『窓』が景色を魅力的にしてくれるのかなと思った。
〜〜余談〜〜
テレビのCMでも聞いたことがあるように『窓』に課税していた時代がある、日本ではなくイギリスだが。
そんなことを書いているブログがあった。
窓もどき!天下の悪法、窓税が作り出したへんてこりんな建物の数々
なぜか、『窓』には郷愁を誘う力が潜んでいるように勝手に感じられてくる。
〜〜余談終わり〜〜
日常生活で窓からの景色を見る時には窓の存在を意識しないことが多い。
景色が魅力的に感じられる時の景色とは、窓の向こう側の景色だと思い込んでしまう。
無意識に存在を無視してしまう窓だが、景色を絵や写真にする場合窓も含めるとグッと魅力を増すのだ。
絵や写真を額縁に入れると魅力を増し、まるで価値が上がったように感じられるのに似ている。
『窓は額縁』と検索して、『画像』を見ると、
似たようなことを感じてる方の投稿がズラっと出てくる。
窓というとガラス面を意味するかもしれなが、むしろ窓枠だ。
直接見る窓にはそこまで魅力を感じないのに、絵や写真では窓枠が描いてあると魅力的に感じられるのはなぜだろうかと考えていたら思い出したのがオー・ヘンリーの最後の一葉。
この話は窓や窓枠がなければ映像として成立しないし、感動にも繋がらない。
絵や写真に限らず、核心に迫ろうとする時についついその存在を無視したり、軽視しがちなのが窓(枠)や額縁だ。
今自分が見つめてるものには全て、目には見えてないかもしれないが、窓(枠)や額縁があるはずだと思ったら、新しい発見があるかもしれない。