昨日のブログで紹介した暴走するネット広告を読むと言いたいことがたくさんあるような気がしてくるが、その前に気持ちを整理する必要があるなと感じたので、備忘録的に整理してみた。
起きて欲しいことや望むことがあると、その再現性や再現率が気になる。
こんなこと考えているのは世界で自分一人くらいだろうと思えれば、再現なんて考える必要はないので、ガムシャラに突っ走ってしまうことが似合うが、再現性とよく似た実現性が頭に浮かんでしまうと、費やされるであろう時間やコストを天秤に掛けるようになる。
再現性や実現性を考える時には、無意識に確率めいたものを考えようとする。
そうなると、確率を高めることが、生産性の高さであり効率の良さとなるのだ。
再現性や実現性として考える場合は、対象になるのは比較的ポジティブに捉えてることに対してなのに対し、確率として考える場合には良いことにも悪いことにも当てはめてしまう。
病気が心配な人は、病気の死亡率を気にすることが多いが、そもそも人間に限らず生き物は100%死亡するので、死亡率は100%なのだ。
それを踏まえてネットを検索して、根拠や裏付けはさて置き、いろんな確率を拾ってみた。
シートベルト非着用者の死亡率は、着用者の14倍。
俗に寿命が尽きたと捉えられる死亡は世に多数あるのだろうが、現在の日本では死亡理由が必要になるので、なんらかの病気というか原因が当てはめられる。
寿命が尽きた人の死亡は、心臓が止まった心不全と病名が付けられる。
日本の場合ではなく世界の場合だが多い順にあげると。
寿命が尽きた以外の心臓病で亡くなる方は、5人に1人。
ガンで亡くなる方、7人に1人。
脳卒中、23人に1人。
ちなみに世界で最も人間を殺す生き物は、ダントツで蚊なのだ。
蚊が媒介するマラリアが原因だが、今後地球温暖化の加速で日本でも警戒しなければいけなくなる可能性が高いだろう。
蚊は2016年のデータでは年間85万人を殺し、2位の人間の58万人を大きく引き離している。
少し脱線気味になったが、確率で考えることは縁起でもないことがよく似合うのは、起きて欲しくないことは起こりやすいというマーフィーの法則を思い起こすからかもしれない。
宝くじに当たるような起きて欲しいことは、確率通りには再現されないように感じられる。
欲に対してポジティブな人は、再現性にこだわる。
再現したいのは成功事例で、二匹目のドジョウを追いかけることだ。
特に二匹目のドジョウに執着するのが投資の世界の末端にいる人達に多そうだ。
日本では、欲が見え隠れする舞台では、イノベーションを起こすことを目指すよりも、成功体験や成功事例をなぞることを選ぶ傾向が強い。
だから、二匹目のドジョウはいるのか、いないのか?、そのことが重要になる。
暴走するネット広告を読むと、オレオレ詐欺に共通するものが感じられるが、オレオレ詐欺は100%個人が被害に遭うのに対して、広告の世界では個人だけでなく法人も被害者になる。
個人は、再現性のない広告内容に踊らされ、
法人は、流して欲しくない媒体に見えないようにされた広告を流され、広告宣伝費を詐取されている。
この本の中に描かれてる人々の多くは、加害者側であろうと被害者側であろうと、
自分にできることには限界があると訴え、まるで当事者ではないような態度を見せた。
「薄められた悪意」とも言うべきものがネット広告の闇の中に堆積し、広がっているというのが取材者としての実感だ。
と書かれてる。
ことわざとしての『二匹目のドジョウ』は、狙っても起きないという教訓なのだが、現在の日本ではそれを狙うことが王道化してるように感じられるのは、上記の引用にあるように、薄められた悪意が当事者意識も希薄にしてることにあるような気がする。
この流れに身を委ねることが賢いのか、それとも逆らった方が良いのか?
それとも上手く折り合いをつけた方が良いのか?
今日書いたことは前置きで、また暴走するネット広告を読んで感じたことを書いてみたい。