違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

努力を活かすも殺すも〇〇

物事が上手く行くとラッキーだと感じ、上手く行かないとアンラッキーだと感じる。

 

ラッキーの部分は運と置き換えても同じ。

 

他人のラッキーにあやかりたいと思う人が多いので分析の対象になる。

 

その分析の結果、ラッキーの正体は積み重ねた努力だと解説されれば、ラッキーを再現するためのキーワードは努力になる。

 

あるいは、ラッキーの正体は築き上げた人間関係やコネのおかげだったと解説されれば、ラッキーを再現するためのキーワードは人脈となる。

 

※以下人脈は人間関係やコネと置き換えても同じ意味

 

努力だけを積み重ねても、人間関係だけを積み重ねても、上手く行かないと、キーワードは『努力+人脈』となる。

 

努力の対象や方向性は人脈の影響を受けるし、努力の対象や方向性に応じた人脈を求めるようになる。

 

努力とは全方位に有効なものにはならずに、特定の方向というベクトル的な力にしかならないのだ。

 

それにも関わらず、方向違いに注力してることも多い。

 

 

努力や人脈で再現性という活路を見出そうとしてる人には、その方向が正しかろうが間違ってようが新しい出会いは訪れる。

 

 

出会うのは人ではなくタイミングだ。

 

タイミングと出会いタイミングを得ることで不思議な力を得るのだ。

 

 

しかし、だからと言って必ずしも上手く行くとは限らない、つまり再現性が高いとは言えないし、タイミングによって得たパワーがタイミングのせいだったと知るのは随分時間が経過した後になる。

 

リアルタイムの現在進行形ではタイミングは偶然に依存することがほとんど。

 

 

だから、上手く行くとラッキーだと感じる。

 

そんな上手く行ってる人にあやかりたいと思う人は、教えを乞う事を入り口にした人脈化を狙う。

 

自分の側に教えるものや与えるものを持たなければ、人脈とは子分や家来になる事なのだが、なぜか何も持ってない者ほど関係性を対等だと勘違いしがちだし、見え透いたおべんちゃらで十分だろうと相手を舐めがちで、タイミングの重要性になど気付かない。

 

 

再現性を高めるための努力を続け、上手く行くと自分はラッキーだったと思う人と、『人脈、人脈』と言ってる人は、交わることはあっても結局すれ違うだけで、すれ違った後は距離は開くばかりになる。

 

 

タイミングという観点で世の中の動きを見ると、タイミングを掴んで効果的に行動するためには、タイミングを掴む前の一見徒労にも似た継続的な努力が武器になる。

 

タイミングを掴んでから頑張る者は、その後の努力はほぼ徒労に終わる。

 

タイミングを意識しない努力も徒労とほぼ同じ。

 

 

早ければ良いというものでもなく、遅いのはもっとダメ、それがタイミング。