ネット上には事実ではない詐欺情報が多数あるが、末端の個人や業者がやってるだけとは言えない面がある、そういう話が暴走するネット広告には書いてある。
ここからしばらくは長い前置きが続きます。
あまり昔に遡ってもしょうがないが、ネット上の詐欺情報はスマホの普及と大きく関係してるだろうと想像でき、日本でのスマホの普及は2011年3月11日の東日本大震災の際に電話回線は規制されて使い勝手が悪かったのに対しインターネット回線は設備が生きていればそのまま使えたために、非常時に役に立つのはスマホだと一気に認知が進んだことが関係してるので、その頃の詐欺情報の状況を確認してみた。
そんな2011年頃から認知が進み始めたことばにステマ(ステルスマーケティング)がある。
GoogleTrendsで確認すると2011年の夏頃から検索されるようになっていることと、ステマという短縮形で使われていることが分かる。
ステルスマーケティングの起源を調べるとソニーが使う手法だと出てくる。
1970年台後半にソニーがウオークマンのプロモーションで使った手法が元祖で、昔ながらの日本によくあるサクラ行為をお手本にしたものとする説と、それよりもずっと以前にアメリカにトランジスタラジオを売込みに行った際に取った手法だとする説が出るが、いずれにしても元祖はソニーらしい。
その後、当然の如く日本の大手広告代理店が芸能人を使って展開するようになるのだが、日本人には馴染みが深いから、騙されても気がつかない人も多いかもしれない。
ステルスマーケティングが問題になり出した2011年〜2012年頃は一流芸能人とは言えないが有名な芸能人を活用して展開されていて、テレビの通販番組と共通する雰囲気が漂っていた。
しかし、2012年に発覚して大きな社会問題になったペニーオークション詐欺事件以降は芸能人はステルスマーケティングには警戒するようになり、露骨なことは表面上は減った。
代わりに台頭したのが、今で言うインフルエンサーと呼ばれるカリスマ性を持った一般人や、アクセス数の多い情報メディアに移って行った。
そして嘘の情報が次に大きな社会問題になったのが2016年の末の
根拠が無かったり、明かに虚偽の健康関連情報を多くのライターに報酬を与えながら書かせてアクセス数を稼ぐことをやっていたことが上場企業のDeNAで発覚したのだ。
そして、この流れを受けて嘘の情報はフェイクニュースと呼び名を変えて勢いは衰えを見せずに続いているのだ。
末端の個人を騙すイメージがあるフェイクニュースだけでなく、法人も騙そうとするのがアドフラウド。
アドフラウドとは、個人だけでなく法人も騙す広告詐欺を指す。
アドフラウドという聞き馴れないことばをGoogleTrendsで見ると、
ピークは2018年の9月。
この時何があったかというと、ヤフーがアドフラウドの対策強化を打ち出したのだ。
https://about.yahoo.co.jp/pr/release/2018/09/20m/
業界全体で対策が必要なことは意識されてるが、モグラ叩きといたちごっこを繰り返しているようにも見える。
以上が暴走するネット広告を読んでの前置き。
これらの現象から感じられることや見えることを語ってみたい。
デジタルは中間に存在する業務をゼロにする(していく)ので、中間に存在していた事業は成り立たなくなるというか成り立たなくさせてしまう。
現実社会の格差も、格差の拡大や両極端化という観点で見るよりも、中間層の消失という観点で捉える方が的を射るような気がする。
『趣味や遊び(自由)』⇄『仕事やビジネス(義務)』、という無限のグラデーションも中間が消失してるとすれば、どうなっていくだろうか?
すべてが、体裁上は自由(化)に向かってるように装いながら、実際には仕事化ビジネス化し義務化されたものにシフトしてるようにも見えてくる。
つまり、遊びや趣味を含めて全ての人間活動が事業化し、そんなつもりがあろうが無かろうが全ての人が事業者にならざるを得ないのかもしれないと思えてくる。
そして更に、そんな中間に存在する消滅を余儀なくされる事業(者)が生き残りを模索する時に何を考えるか?
おれおれ詐欺のような存在が手を替え品を替え無くならないことや、つい最近話題になったドコモショップのような存在は、増えこそすれ減ることは無いだろうと思えるのは、中間に位置する存在が必死でもがいているからだ。
来店客を“クソ野郎”と侮辱する不適切メモで炎上した「ドコモショップ市川インター店」を運営する兼松コミュニケーションズとNTTドコモが謝罪
証拠の画像を投稿した桝本氏も『画像からは独自回線ではない子回線契約を「クソ野郎」とみなしていること、出費に無頓着、言い換えれば「騙しやすい」と思われていることが読み取れます。』として『これは一業者のミスではなく、業界の意識をよく表しているメモだと思います。』と合わせて投稿していました。
今世間で起きてることは、そんな中間層が模索する動きだとすれば、少々混乱してるように見えるからと目くじらを立てても、結局いたちごっことモグラ叩きを繰り返すことにしかならないと感じられる。
例えばブログ。
好きでやってる趣味や遊びのようなものだとを謳いながらも実際には義務化したものが非常に増えているように感じられるのも中間が減ってることの現れに見える。
いつの頃からかブログのオワコン化という声を聞くようになった。
GoogleTrendsで『ブログ』『オワコン』を見ると、
※この2つを同時に比較すると圧倒的に『ブログ』が多いので別々に表示したが注目して欲しいのは時間的な経過の方
ブログは安定して高い推移を見せてるがピークは2013年頃で、オワコンは2011年に入って急速に上昇し始めた。
ブログがオワコン化したと言われるようになったのは、趣味や遊びで普及したブログがいつの頃からか事業として収益を上げる対象として捉えられるようになったからだと思えてくる。
つまり、儲かると思ってブログを始めた人が儲からなかったら、「もうブログは儲からない、オワコンだ」と言っても不思議はない。
デジタルが本当に中間を消滅させるならば、世の中にはモノ(サービスやコンテンツも含む)を作る人と、モノを消費する人の二種類だけになる。
もっと正確に言うと、作る人は消費もするので、作るだけの人は存在しなくなるが、逆に作ることなく消費のみを繰り返す人は存在することになる。
よほどの金持ちでない限り、中間が無くなれば、何かを作る(造る、創る)に関わることが必要になる。
このように考えると、オワコンと言われてるものの中には本当に役割を終えたものもあるだろうが、実際にはサーフィンをするように波を乗り換えているだけで、乗り捨てた波をオワコンと呼んでるだけで、その乗り捨てた波は、別の人にとってはこれから乗る波だったりするのが珍しくなくなるのだ。
今、何を作っているのか?
これから、何を作るのか?
そういうことを意識するのが重要になっている。