違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

全ての情報はプロモーション化されている!

今では、老若男女皆情報発信をするようになっている。

 

自分のことや他人のことを話題にしたり、世間のことを話題にしたり。

 

自分のことを語るときには、自分自身に目を向けることもこともあれば、自分に見えてるものに目を向けることもある。

 

世間に関しては、自分の立ち位置からどう見えるかという視点で観察されるだろう。

 

 

ゴーストライターが著者になり代わって書く場合に、著者の視点に立つためにすることが著者への憑依だと言われる。

 

相手に憑依するためには、プロフィールや人生経験や趣味嗜好や価値観を十分に理解したうえで強く感情移入する必要がある。

 

この作業をどこまで徹底できるかで、出来上がる作品の質の違いは大きくなるだろう。

 

そんな時、ゴーストライター(必ずしもゴーストである必要はないが)は著者の納得や満足を優先させるべきか、それとも読者の共感を得ることを最優先すべきかという選択肢を突きつけられることになるはずだ。

 

本を書く(=情報を発信する)以上、売れることが目的であり、良い評価を得ることが目的となるはずだ。

 

ゴーストライターならば、事前の打ち合わせで自分がどの役割を求められるかが分かるので、割り切ってそれに合わせれば良いだけだが、自分で何かを発信しようと思う場合は、その割り切りが簡単ではなくなるかもしれない。

 

 

最近はマスゴミと言われることが増えた新聞やテレビのような既存マスコミでは、読者や視聴者の減少による収益の悪化で、売れることや見てもらえることに露骨に関心や興味がシフトしている。

 

その結果、報道やニュースですらバラエティ番組化が進んでいる。

 

結果、やりたいことや、やるべきことよりも、売れること見てもらえることにテーマが偏るようになってしまう。

 

イヤイヤ携わってる人もいるだろう。

 

 

 

この傾向は情報発信全般に及び、商業的であったり営利目的な発信だけでなく、プライベートなつぶやきにも及んでいる。

 

 

好むと好まざるとにかかわらず情報発信のプロモーション化が促進される。

 

Wikipediaでも意味は限定されてなく、広告宣伝的であり、良い結果や成果を目指すことを広く意味するのがプロモーション。

 

プロモーション化が優先されると、トレードオフとして犠牲になるのが、売れないテーマであり、見てもらえないテーマ。

 

売れない、見てもらえない、そんなテーマが実際にどうでも良いものならば全く気にする必要はない。

 

しかし、往々にして大事な事実や真実が切り捨てられることが珍しくないのだ。

 

しかし、この切り捨てられがちな面白くもおかしくもないテーマは、心配や不安や危険と結び付きやすかったりもする。

 

そして、心配や不安や危険と結び付いたテーマは絶好のプロモーション化の対象として成立するようになる。

 

その結果、世の中には面白可笑しい情報と、心配や不安や危険な情報が溢れるようになってしまっている。

 

 

コロナウイルスによる新型肺炎でマスクが店頭で売り切れる一方で、ネットの転売市場では市価よりはるかに高値でマスクが売られる現実や、自治体がストックしていたマスクを放出すると、その放出先を巡って地元市民に配布した岡山県総社市は美談として讃えられてる一方で、中国へ医療用防護服を10万着贈った東京都は「都民を守れなかったらどうするんだ」と非難されている様子を見て、つくづく情報はプロモーション化されてるなと感じた。