世の中はホワイト化へシフトしている。
隠蔽されていた悪事が白日の下に晒されるという現象が増えている。
そのことを踏まえると新年の誓いも変化させた方が良いかもしれない。
競争社会は弱肉強食、だからこそ勝てば官軍負ければ賊軍という価値観が成立していた。
口では綺麗事を言いながらも心の中ではその反対のことにやる気満々、そういう生き方の方がこの100年の主流だったのかもしれないが、そういう時代ではなくなったのかもしれない。
もちろん従来のような金銭的な成功を追い求めたい人には当てはまらない話だ。
有名なマズローの欲求五段階を上から並べると、
- 自己実現の欲求 (Self-actualization)
- 承認(尊重)の欲求 (Esteem)
- 社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
- 安全の欲求 (Safety needs)
- 生理的欲求 (Physiological needs)
とされ、低い段階が実現されるとその上位を求めると理解されがち。
上から2番目の承認欲求がさんざん話題になったのは多くの人が知るところだが、承認欲求に基づいて行動してる人がその下位の欲求の充実が感じられるかというと決してそんなことはない。
だとすると、これらの欲求の五段階は単独の欲求として存在可能なのだ。
朝正月番組を見てると、人生は100年時代から110年時代へと言っていた、そして、だから筋トレが必要なんですと展開されていた。
それを見ながら、必要なのは筋トレを含めて自己実現欲求だと感じた。
自己実現、そんなものが本当にあるならそれを意識し実現に向けて行動できるのは誰しも自分一人だけになる。
他人に相談したり、自分の外側に答えを求めるような筋合いのものではないはずだ。
他人に勝ったから得られるという筋合いのものでなんかないはずだ、と強く思った。
最も大事なことは、自己実現欲求は五段階の最上位だが、必ずしも下位欲求の充実の上に存在するというわけではなさそうだということだ。
私なりの解釈では、自己実現という概念に気付けて、それを意識して行動できることには希少価値があるというように受け取れる。
逆にいうと、口ではいろいろ言っても本当に気付いて意識できる人はそう多くはいないということだ。
自己実現を意識すると、したいことや好きなことに近づくよりも、したくないことや嫌いなことには決して近づかないことこそが重要になる。
言い訳や正当化の偽装でブラックなことを許容した上に自己実現なんて存在できない。
幸か不幸か世の中がホワイト化へ向かい始めたことを追い風にするのも悪くないだろう。
新年の誓いは美白で彩ろう。
あけましておめでとうございます