危機やピンチに陥った時、すなわち闘争か逃走かを迫られる時に分泌されるのがアドレナリンだと言われる。
火事場の馬鹿力もアドレナリンのおかげだと言われる。
以下は、医学的な話ではなく、生活の雑学的な意味程度の話。
ランナーが走った後に感じる幸せ感はランニングハイとかランナーズハイと呼ばれる、この幸せ感を得たいがためにランニングは習慣化するとも言われる。
この現象には医学的な説明もつくようで、脳内物質が関係してるようだが、走る前に、走ったらきっと気持ちいいぞとポジティブな気持ちになれるとしたらそれはアドレナリンのせいかもしれない。
医学的な話はさて置き、日常生活の中で前向きでポジティブな気持ちになれる時になんとなく身体の芯が熱くなるような気持ちが伴う時に「アドレナリンが出てるぞ」と思うことがある。
寒い冬に寒さなんかものともせず行動できる時にはきっとアドレナリンが出てるはずだが、他人にはアドレナリンは見えないので周りの人からはそういう人だとしか思われてないだろう。
その結果、行動力があるとか、責任感が強いなどと言われるが、当人にとっては、何もしない方が不自然なことなだけなのかもしれない。
しかし、人間という生き物は一事が万事でもあるので、おそらくアドレナリンが出やすい人と出にくい人がいるはず。
この場合のアドレナリンは汗と大差なく、出そうとしてるというよりも出てしまうもので、むしろ体質や習慣のせいだろう。
闘争か逃走かというくらい両極端な反応に繋がるので、良いことばかりではなく、あくまでもTPOが問われる。
煽り運転や理不尽な正義の振り翳しが起きる場合には、アドレナリンの副作用も多いだろう。
いつの頃からか言われるようになった怒りをコントロールするアンガーマネージメントはおそらくアドレナリンコントロールだと思える。
アドレナリンの上昇が裏目に出る場合の多くは、場に相応しくない怒りや攻撃性が発動されるからだろうが、厄介なことに当人は気持ち良いのだ。
変な形で感情の爆発を起こさないためには、ガス抜きとしてのストレス解消は重要だ。
大事なことは心と身体の解放だ。
有効ならば何をやっても構わないが、一人で出来ることがベストだ。
一人で出来る運動やストレッチや趣味があることでほぼ解消されるはず。
今の時期だったらお風呂にじっくり浸かるのも悪くないはずだ。
世間で妙な事件が起きるたびに、アドレナリンが変なタイミングで噴出すると明日は我が身だなと戒めるために書いてみた。