違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

なんでも短くなっている!?

大まかな流れとして短いものがますます好まれるようになっているのかもという話。

 

 

このツイートに寄せられてるリプも参考にすると、最近はYouTubeすら長過ぎていて、そのせいでTikTokのようなものが出ていると思わせられるし、そのことのせいかマンガの展開ですら4ページ以内のセリフ少なめという傾向があるらしい。

 

個人的には最近の音楽にはほとんど縁がないが、傾向としてはイントロは短めで、イントロ無しも増えてるらしい。

 

 

そういえば自分にも当てはまるなと感じるのは、昔の2時間ドラマが好きだったので再放送されてると見るが、展開がもっさりとしてるなと感じることが多い。

 

CATVなどで昔の映画を見ても同じことを感じることがある、『このシーンは無くてもいいんじゃね?』と感じたり、『むしろ、無い方が良い』と思えたりすることが多く、見終わった後の印象として、昔見ておもしろかったという記憶があるのに、『なんでこれがおもしろかったんだろう?』と感じるものすらある。

 

おもしろくないと感じる場合の多くは、展開のテンポやリズムに原因があるように感じられる。

 

映画は、映画館で映画を観るしかできない環境でなければ真に楽しめないものになってるのかもしれない。

 

テレビで放送される映画では、かつては途中で入るCMがジャマだったはずだが、最近は切れかけてる集中力をリセットする効果すら感じられる。

 

表面的な文化は、どんどん短くなる傾向にあるのかもしれない。

 

 

産業の傾向ですら重厚長大から軽薄短小であるように。

 

 

短いといえばミニスカートが浮かぶが、今はミニが標準で長いとロングだなと感じる。

 

Wikipediaによると、日本でのミニスカート元年は1965年とされてるようだが、

 

 

 

 

大まかな流れとしては、時代の傾向が短いに向かい始めて50年以上が経過してるのだ。

 

今生きてる人の多くは、その傾向にどっぷりと浸っているので、全ては無意識なはずだ

 

特に時間の短さが顕著だが、その短さに適応すると長いものは冗長(≒ムダ)に感じられる。

 

 

短くするために削っているのが何なのかがこれから問われてくる。

 

短いことは便利と結び付きやすい。

 

ドコモ口座を使った出金詐欺は、短いことが生み出す便利がセキュリティという安全マージンを削ったから起きたのだと思えば、諸刃の剣と気付く。

 

 

だとしても、当分は短いことを求めて世間は動きそうな気がする。