選択を迫られた時に多くの選択肢がある場合の迷いを表現する格言めいたことばがある。
- 適材適所
- 大は小を兼ねる
- 安物買いの銭失い
- 身分相応(≒身の丈に合った)
- 弘法筆を選ばず
- 下克上
などなど。
結局、予算額の範囲で選びながらも性格や持ってる価値観を大きく反映しながら選んでいるはず。
受験生時代に参考書を選ぶ際に、どの参考書が一番自分の学力を上げてくれるだろうかと迷っていた。
今だったら分かるのが、そんなことやってるから成績が上がらないんだということ。
選択肢が多いことに足を引っ張られるということは決して珍しくないが、多くの選択肢の中から選んだという思いは充実感を感じさせるとともに、選択を誤ったかもという不安も拭い去れない。
選択肢は自分の外側にしかないので、どんな分野であっても道具選びと言えるだろう。
人間関係ですら道具的だ。
必要に応じて多くの道具を使い分けることに意味はあっても、多くの道具があるだけでは必ずしも価値があるとは言えない。
必要は発明の母とエジソンが言ったが、道具選びは使い方の発明や発見と言えるかもしれない。
『こんなことしたい』『あんなことしたい』という思いがあるから気付いたり発見できることがある。
人間関係の場合は、相手も自分を道具として評価しなければ関係は持続しない。
少しばかり事情が変わるのは血のつながりがある場合だけだ。
趣味の世界では、機材や道具にこだわり過ぎることを『沼にハマる』と呼ぶが、沼にハマり始めた時には広い世界に足を踏み入れたように感じていたはずなのに、気が付いたらすごく狭い世界に閉じこもっていることに気付く。
沼にハマると、最初は広い視野を持っていても、途中からは穴を深く掘り始めるので、途中からは掘っても掘っても穴の直径は広がるわけではなくなる。
こうして、広い視野を持っていた人も狭い世界の住人になっていく。
道具や機材は、資産と置き換えても当てはまるだろう。
狭い世界の住人が、再び広い世界に目を向けたいと思うときに着手するのが断捨離かもしれない。
逆に言うと、なんとなく断捨離を意識するときには少なからず広い世界(≒広い視野)に対する欠乏感が生じてるのかもしれない。