納得できる記事があった。
ずん・飯尾 大ブレークの陰に大御所からの助言 忘れないタモリの金言「時代は追わない方が良いって」
「関根さんからは(ずんの)キャッチフレーズは『やってきた高野豆腐』だと。味が染みるまで焦らずじっくりいけって」
「タモリさんからは受けているものや、時代は追わない方が良いって。時代は追ったら絶対に追いつかないからって言われました。自分がおもしろいと思うことを、1つのところでやっていれば良いんだよって」
これはおそらく俳句の世界で言うところの不易流行と通じるところがあるんだろうなと感じられた。
もっともわたしは不易流行ということばは知ってるが意味や由来はよく分かってないので調べてみると、日本俳句研究会のサイト上で三つの句を引用して説明していた。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」
去来抄
噛み砕いて言うと、
「良い俳句が作りたかったら、まずは普遍的な俳句の基礎をちゃんと学ぼう。でも、時代の変化に沿った新しさも追い求めないと、陳腐でツマラナイ句しか作れなくなるので、気を付けよう」
蕉門に、千歳不易(せんざいふえき)の句、一時流行の句といふあり。
是を二つに分けて教え給へる、其の元は一つなり。
去来抄
去来抄の中にある向井去来の言葉です。
「千年変らない句と、一時流行の句というのがある。
師匠である芭蕉はこれを二つに分けて教えたが、その根本は一つである」
という意味です。
師の風雅に万代不易あり。一時の変化あり。
この二つ究(きはま)り、其の本は一つなり。
その一つといふは、風雅の誠なり
三冊子
俳句が時代に沿って変化していくのは自然の理だけれども、その根本に風雅の誠が無ければ、それは軽薄な表面的な変化になるだけで、良い俳句とはならない、ということです。
(風雅とは蕉門俳諧で、美の本質をさします)
不易流行の意味を初めて理解したような気がする。今のような時代だからこそこのことばが大事な気がするが、都合良く使われる側面もありそうだ。
コロナ禍の「不易流行」、グローバル化の重要性変わらず-日銀総裁 2020年10月7日
グルーバル化に対しては、疑問や巻き戻しの議論が生じているが、「形や構図を変えつつも、その重要性について基本的な考え方を変えることはない」と語った。
不易流行を都合良く使おうとする時は、変えないことを正当化するためや免罪符としての意識が働くようだ。
政治も経済も文化も、闇雲に流行を追い次から次へと新しい流行を作り出そうとしているように見えていたところにコロナが登場した。
不易流行という考え方は、流行を否定してはいない。
今後を見通す際に、持って損はない価値観だと感じられる。