GoogleTrendsでキーワードの動向や推移や変遷を見るたびに思うことが、このキーワードで検索する人は果たしてどういう属性の人なのだろうかということ。
例えば『痴漢』。
検索可能な2004年以降で見ると、
となって、変動はあれどそれなりの水準が維持されている。
痴漢と検索する人は、どういう理由で検索するのだろうか?
理由に関連しそうなこととして、人としての属性が関係してそうに感じられる。
- 実際に痴漢をする人
- 痴漢をしたいけどできない人
- 痴漢なんてしようとも思わない人
- 痴漢の被害に遭ったことがある人
- 痴漢の被害者や加害者を知ってる人
- 痴漢の被害に遭うことをを恐れてる人
- 取締りを含めて広義に痴漢関連でビジネスや研究をしてる人
などと思うが果たしてどうなのだろうか?
次のツイートがキッカケで思ったことを書いてみたい。
始まりのツイートがこれ。
日本の治安は素晴らしい。最新の統計によれば、日本は更に順位を上げて世界3位。多くの国がコロナで犯罪が増える中、日本は治安が維持された事も要因。「失政」と言われながら暴動も犯罪も起きない。素晴らしい国ですよ、日本は。
— ちゃん社長 (@Malaysiachansan) 2021年6月3日
*GLOBAL PEACE INDEX 2020, Societal Safety and Security domain参照 pic.twitter.com/qD7QYzj5oP
日本の治安の良さを伝える話で、私にはありがちな予定調和な話に思えた。
少し印象が変わったのは、リプに次のものがあったから。
国民性的に、殺人数は自殺数に置き換わってる感です。治安は、女性には事情が変わり、性犯罪天国と感じます。本気で取り締まられないのも一因。痴漢はもちろん、自転車ごと押し倒されたり、露出狂が現れたり、連れ去り未遂等。自分にも他女性にも多数でした。以上を除く全般的な治安の良さは同感です。
— Junna 🇲🇾🇯🇵 Malaysia マレーシア (@msialifejp) 2021年6月5日
殺人数は自殺数に置き換わってるという部分も見逃し難いが、それに続く部分にフォーカス。
以下は、連続的に続くリプライ。
この統計は「犯罪認知件数」を基に作られていると聞いています。なので逮捕されなくても届け出さえすれば統計に反映されますが、届け出ないと反映されません。恐らく性犯罪の場合は泣き寝入りも多いかと思いますので、そのあたりが実感と統計で差異が生じる理由なのかもしれませんね…
— ちゃん社長 (@Malaysiachansan) 2021年6月5日
じゅんなちゃんの意見に同感。
— ナオコ🌸🇯🇵一時帰国中/夫はマレー系🇲🇾人/🦥返信遅い人🙇♀️ (@malaysia_cinta) 2021年6月5日
小学生の頃小児性愛者から危うく犯罪行為されかけたことから始まり、高校や大学では電車の痴漢や露出狂、企業では飲み会で明らさまでもはや性犯罪レベルなセクハラを受けたりと、もう言い尽くせないくらい嫌な思いしてます。女性にとっては全く安全じゃないですよね。
今TLでも女性からの同意見が。残念ながら女性にとっては日本は安全な国と言えないのが現実ですね…。少なくない数の女性が何度も経験。落とし物が帰ってくるとかはすごいと思うけれど。肉体的・社会的弱者が安心して暮らせて初めて安全な国かな。最低でも、性犯罪に関する厳罰が機能してること。
— Junna 🇲🇾🇯🇵 Malaysia マレーシア (@msialifejp) 2021年6月5日
おそらく、わたしがこれまでの人生で自身が痴漢の被害の対象になることはないという属性だったがために全く見えてない現実があったのだろうと感じている。
ニュースや報道だけでなくドラマや小説でも痴漢の被害のシーンは描かれるので被害者の気持ちに対する知識や感情だって持ってるはずなのに、その意識は低レベルだったなと認識できる。
実際に自分の目の前で展開されてないと印象としてのインパクトが少ないからかもしれない。
事件や事故があると、傍観者は原因や理由を知りたいと思う、いわゆる因果関係だ。
もしかしたらドラマ『ガリレオ』で福山雅治演じる湯川学の『現象には必ず理由がある』の拡大解釈のせいかもしれない。
そうですね。一長一短ですね。なので私は常日頃から、若い人には一生の内に一度は海外で住んでみる事をおすすめしています。治安の良さや悪さ、親切や無関心を耳で聞くのではなく肌で感じると、見方が大きく変わる事があるからですね。
— ちゃん社長 (@Malaysiachansan) 2021年6月4日
人間活動には、たった一つの真実のような理由なんて、本当は存在しないのかもしれない。
世の中には、理由は国柄や人柄や状況やタイミングでその都度変化して、決して一つに定まることはないと覚悟した上でリスクヘッジする必要があると改めて感じる。
理由があると思い込むから理由を求めて、あるいはその理由に縛られて泥沼にハマってしまうことは多いかもしれない。
理由を求めがちな人こそ、理由なんかないという選択肢を忘れてはいけない。