違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

本当は理由なんて無いのかも

GoogleTrendsでキーワードの動向や推移や変遷を見るたびに思うことが、このキーワードで検索する人は果たしてどういう属性の人なのだろうかということ。

 

例えば『痴漢』。

 

検索可能な2004年以降で見ると、

 

 

Google Trends『痴漢』 2004年以降

 

 

となって、変動はあれどそれなりの水準が維持されている。

 

 

痴漢と検索する人は、どういう理由で検索するのだろうか?

 

理由に関連しそうなこととして、人としての属性が関係してそうに感じられる。

 

 

  • 実際に痴漢をする人
  • 痴漢をしたいけどできない人
  • 痴漢なんてしようとも思わない人
  • 痴漢の被害に遭ったことがある人
  • 痴漢の被害者や加害者を知ってる人
  • 痴漢の被害に遭うことをを恐れてる人
  • 取締りを含めて広義に痴漢関連でビジネスや研究をしてる人

 

などと思うが果たしてどうなのだろうか?

 

 

次のツイートがキッカケで思ったことを書いてみたい。

 

始まりのツイートがこれ。

 

 

 

日本の治安の良さを伝える話で、私にはありがちな予定調和な話に思えた。

 

少し印象が変わったのは、リプに次のものがあったから。

 

 

 

 

殺人数は自殺数に置き換わってるという部分も見逃し難いが、それに続く部分にフォーカス。

 

以下は、連続的に続くリプライ。

 

 

 

 

 

 

おそらく、わたしがこれまでの人生で自身が痴漢の被害の対象になることはないという属性だったがために全く見えてない現実があったのだろうと感じている。

 

ニュースや報道だけでなくドラマや小説でも痴漢の被害のシーンは描かれるので被害者の気持ちに対する知識や感情だって持ってるはずなのに、その意識は低レベルだったなと認識できる。

 

実際に自分の目の前で展開されてないと印象としてのインパクトが少ないからかもしれない。

 

事件や事故があると、傍観者は原因や理由を知りたいと思う、いわゆる因果関係だ。

 

もしかしたらドラマ『ガリレオ』で福山雅治演じる湯川学の『現象には必ず理由がある』の拡大解釈のせいかもしれない。

 

 

 

 

 

人間活動には、たった一つの真実のような理由なんて、本当は存在しないのかもしれない。

 

世の中には、理由は国柄や人柄や状況やタイミングでその都度変化して、決して一つに定まることはないと覚悟した上でリスクヘッジする必要があると改めて感じる。

 

 

理由があると思い込むから理由を求めて、あるいはその理由に縛られて泥沼にハマってしまうことは多いかもしれない。

 

 

理由を求めがちな人こそ、理由なんかないという選択肢を忘れてはいけない。