違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

橋本聖子新会長に感じる予定調和と予想外

候補として一本化されたあたりまでは予定調和しか感じられなかった、だから好ましい展開だとは感じなかった。

 

そんな思いが変化したという話。

 

当初の私の気持ちを代弁するようなツイートを紹介すると、

 

 

 

 

 

 

政治の側もマスコミの側にも、それぞれの思いが別々にあるはずなのに、事態は予定調和に向かって収束するような気がして不快だった。

 

 

自分が不快感を感じてるのを自覚した時に、なんで俺は不快なんだろうか?、自分に刃が向けられてるわけでもないのに、と思い始めた。

 

そして、もし自分が橋本聖子さんの立場だったらと考えてみた、思いっきり感情移入して。

 

そうして気付いたことは、この件に関してわたし自身に当事者意識が全くなかったからこそ、外野の傍観者的な目でいたのだということにだった。

 

厄介なことに、最近の世間と同じく、傍観者でありながら正義を気取ってしまっていたのだ。

 

 

そこに当事者意識を持ち込んだら、見えてる景色が全く違ってしまった。

 

会長就任の会見での表情を見ていると、とても穏やかで静かな印象を受けた。

 

『もう逃げられない』という覚悟に感じられた。

 

 

気が付いたら、私の心にあったはずの不快感がどこにも無くなっていた。

 

Twitterで似たようなことを感じてる人はいないかと思って探してみると結構いるらしいことが感じられた。

 

そんな中で、わたしの気持ちを代弁してくれてるようなツイートがあった。

 

 

 

 

何かが変わる時というのは、戦争や大災害や革命がきっかけだと思い込んでいたが、水に投げた石の波紋が広がるような静かな変化だって影響力があるように感じられた。

 

 

見ようによってはただの予定調和劇場に見えないこともないが、当事者としての気持ちに感情移入すると、まさに革命前夜の命を投げ打つ覚悟がなければ無理だと気付く。

 

 

自分の気持ちが変化したことが予想外だったが、もともと人間はキッカケ一つで価値観を180度転換することは容易だという持論の持ち主だったことを思い出した。