愛知県知事リコールの署名活動に不正が発覚したことで世間が騒いでいる。
このリコール運動を当初からウォッチしてた愛知県民や特別に興味を持っていた方を除いて、ワイドショーネタになってから興味を持っている方はわたし同様にわかだろう。
ニュースやワイドショーを見るだけでは分かるような分からないようなモヤモヤした気持ちになるはずだ。
ことの経緯を巡っては政治問題というよりは芸能問題の様相を呈してるように見受けられるのは、烈火の如く怒って記者会見していた高須克也氏のせいだろう。
今朝流れてきたツイートの中に事の顛末の真相に近いだろうと思える記事を添付したものがあった。
長いけど読み応えがありますので興味のある方は是非ご一読を。
杜撰と言われる犯行ですが実際には相当に考えられた犯罪で犯人によるミスと偶然がなければこの犯罪は表に出る事はありませんでした。
読めば分かりますが、たった一人の人物の背水の陣の戦いでもあったのです。
その方が相手にした敵は、
大量の広告を載せる事によってマスコミに影響力を行使し保守人脈を持つ高須克弥、政令指定都市の名古屋の市長河村たかし、大阪府知事大阪市長を擁する国政政党の日本維新の会などを向こうに回して自身の身の潔白を証明しなければならなくなったのです。しかも、彼は保守側の人間であるので共産党系の弁護士や立憲民主党の国会議員などに助けを求める事もできない。
しかも、警察には高須克弥によって窃盗罪で告訴されてます。
ここからは、リコール運動はそもそもなぜ起きたのか?、にフォーカス。
愛知県民だったらピンと来るのだろうが、どうやら2019年のあいちトリエンナーレ#企画展「表現の不自由展・その後」、に端を発しているようなのだ。
そのことは、リコールの会のサイトにも表現されている。
「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」
わたしのように興味がない人には全く意味不明なのだが、wikipediaの高須克弥の思想に依ると、ネット右翼の国粋主義者を自称とある。
どうやらキーワードはネット右翼らしい。
思想信条としての右や左、あるいは保守や革新という分類をしたがる人はいまだに多いのは、おそらく思想信条というよりも自分を取り巻く人間関係における上下関係や利害関係が大きく影響してるだろうと感じる。
純粋に自分一人の考えとしては、良いものは良いし、悪いものは悪い、という是々非々の方が自然だと感じるが、しがらみが多くなると相手に合わせるという振舞いの方が楽になるのも分からないではない。
右と保守は共通点があり、古いものや伝統を重視し、純度の高さを求める傾向が強い。
別の表現をすれば体育会系的でありヤクザ的であるとも言えそうだ。
イジメやシゴキや根性が好まれるだろう、それとともに束縛力が強く作用するが、束縛されてるというよりも、中に位置してると結束力の強さだと錯覚しがちだと思える。
面倒見が良いとしか感じてない人すらいるはずだ。
つまり、慣れて受け容れられると居心地の良さすら感じられるはずだ。
さて、個人的にこの不正署名の事件がどこに着地するかにすごく興味がある。
すでに警察が介入してることもあり、続報も出てくるだろうが、関係してる右寄りの関係者の結束がどこまで維持されるのか、あるいは簡単に壊れるのか?
日本の中枢に鎮座しているように見える右的な存在は、神社本庁なども勢力が分裂し弱体化を感じるが、この不正署名の件が右寄りな存在の弱体化につながることを望みたい。