ブログやSNSを実名で展開している人もいれば、匿名やペンネームのような別名で展開してる人もいるし、実名匿名を駆使して複数のアカウントで展開してる人もいる。
実名で展開されてるものであっても、実際の本人とは違ったキャラで展開されてるものもある。
実際の自分をありのままに出そうとするアカウントもあれば、なりたい自分を演じるためのアカウントもあるし、実名ではとてもできない毒を吐くためのアカウントもある。
現実社会の実際の自分というのは、概ね関わってる人間関係の中で自然と収まりがつくような役柄を演じてるだけの場合も少なくない。
このように考えていくと、本当の自分とはどこにあるのだろうかと思ってしまう。
わたしは、このブログ上では脊髄反射のような反応はしたくないと思っているが、実際の自分は脊髄反射的な反応がないわけではない。
ただ、ブログをやってるおかげか脊髄反射をしそうになった時に、『お前のその反応は脊髄反射だぞ』と観察してるもう一人の自分が囁くことで、脊髄反射にブレーキが掛かることが増えたがゼロにはなってない。
心の中の観察者がブレーキ役ならば暴走を止めてくれるが、観察者が判断や反応を間違えた場合は大変だ。
なりたい自分からどんどん遠ざかることになる。
身近なことで例えるなら、ダイエットしようと無理のない範囲で食事を制限していても、ふとした拍子に心の中の観察者が『好きなものを好きなだけ食べることの方が幸せだぞ』なんて囁くこともある。
広い意味での禁断症状に突き動かされる時は、大抵の場合、心の中の観察者の悪魔の囁きがキッカケだったりする(と思う)。
現代人は、自分の心の中にも、社会生活の中にも、複数のアカウントを持ち、時にはそのアカウントの使い分けを間違えてトラブルを起こす多重人格者のような面が目立つようになってる気がする。
家庭や地域や学校や職場という濃密な人間関係がガチガチな時代には多重人格は出現しにくかったはずで、それこそ出現すると病気扱いされていたが、人間関係が希薄になった現代では程度の差こそあれ誰でも多重人格の出現が容易になってる気がする。
昔だったら自分の心の中に封じ込めてた思いを、一切合切吐き出してるのが現代で、その結果街には多重人格者が溢れている。
プライベートでも仕事でも、人間関係に応じてキャラを使い分けるのは賢い嗜みであり処世術と言えるだろうが、それも広義の多重人格だと言えなくもないはず。
だとするなら、あなたもわたしもきっと多重人格者で、少なくとも二重人格者ではあるだろう。