妥協の反対語は止揚(ドイツ語のアウフヘーベン)と書いたことを思い出した。
Wikipediaでは次のような定義で紹介されている。
- あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
- 矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。
という二つの意味を有する。
改めてこの定義を見て思い出したのがトヨタ式のカイゼン。
カイゼン(=改善)を象徴するのがトヨタ生産方式で、世界の製造業のお手本として知られていて、製造業に限らずお手本にしようという動きが活発だった。
ついこの間のような気がするが、わたしが異業種交流会に熱心に参加してた頃によく聞いた覚えがあるのでたぶん20年以上前の話になるのだろう。
こういう記憶がなんとなくジャパンアズナンバーワンを引き摺らせることにも繋がってるような気がする。
現代でもトヨタは巨大企業であることには変わりないが、業績においても存在感においても世界のリーダーではないし、あんなにもてはやされたトヨタ生産方式は、災害など緊急事態に弱いということも露呈し、効率のためにリスクマネージメントを省くシステムであり、リスクを下請けに負わせるという一種のパワハラシステムであることが露呈した。
世の中が計画通り、予定通りに進んでいると、まるでアウフヘーベンを実現したかに見えたトヨタ生産方式は、ただの片手落ちだったのだ。
日本流の展開の多くがガラパゴスに終わるのは、アウフヘーベンを目指してるようで、結局改良改善という一部分への対応に留まることにあるのではと感じられる。
日本の自動車産業で例にあげるなら、ハイブリッド車がそれに当たる。
根本はガソリン車のままで、付け焼き刃的に対処しただけなので、そこから次の展開が広がらない。
付け焼き刃のレベルが高かったことが、根本の変化を見定める機会を失わせたとも言えるだろう。
ある程度以上の年齢の方だと、日本は世界でトップクラスに清潔で環境意識の高い国だと思っているかもしれないが、今や世界の先進国の中では環境意識の低い国だとされている。
<参考>
G7内で日本は最下位「マイクロプラスチック問題」に関する国際比較調査
工場の効率や生産性を高めることの延長線に環境問題が関係してる場合、日本の改善は世界をリードするが、環境問題が根本からの対処を迫られると、まるで身動きが取れなくなる。
寄らば大樹の陰精神のせいなのか、それとも島国根性とでも呼べば良いだろうか。
環境問題は、今や部分的な対処で解決する問題ではなく、持続可能性の問題になっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/持続可能な開発目標
Sustainable Development Goals: SDGs
2015年9月25日の国連総会で、持続可能な開発のために必要不可欠な、向こう15年間の新たな行動計画として「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択された。
この中で、持続可能な開発目標 (SDGs) として17の世界的目標と169の達成基準が示された。
従来の流れの延長線上に生産性や効率を追い求めていたら、SDGsはまるで進まないはず。
取り組もうと考えたら根本からの変化が必要になる。
現代では、世の中に大きな変化が起きる場合、草の根的な末端から変化が広がることは少ない。
典型的には、巨大ファンドが最初に動くが投資額が大きいわけではなく、まず声を上げる。
これが啓蒙となり、世間と政治が動く。
政治が動くと、税制や制度の優遇措置が設けられ、ファンドの資金が動きやすくなる。
次の段階では、どの事業がうまくいくか選別にかけられる。
このふるいをくぐり抜ければ事業の成功と資金の獲得が可能になる。
関係者は全て儲けるためにやるのだが、儲かれば良いわけではない。
世の中に普及し定着する根本の変化は、このように展開すると考えるとしっくりくるような気がする。
ものごとに対処する時に、改良改善で乗り切ろうとしか考えられないのであれば、ますます世界から遅れることになるはず。
幸か不幸か、変わらない国日本で生きている。
つまり所与性が強いというか高い状態で、変化がイヤなのだ。
国や組織が変われないならば、せめて個人の意識だけでも変えておきたい。
意識が変われば、行動も変わるはず。
ここから先は、世間の問題ではなく自分の問題だ。