違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

イチゴの価格に感じるSDGs

原油高に起因して世間が賑わっている。

 

個人であるか法人であるかを問わず移動や輸送のガソリン等の燃料費の上昇を嘆き、暖房費の上昇を嘆く声で賑わっている。

 

そもそもなぜ原油価格が上がったかというと、環境やエネルギーに関して世界的に化石燃料を悪者扱いする傾向に対して産油国が抵抗してるから。

 

まだまだ世界はエネルギー的には化石燃料を中心にして回っているのだが、ジャブジャブ使うのはもうやめようという方向にシフトしている。

 

それは極端にいうと、人間を含めて生物の生活の場としての地球環境の変化が生命活動すら脅かす懸念が高まったから。

 

合言葉は持続可能性だ。

 

人間は常に進歩と進化を目指すが、そこにも持続可能性が求められるようになった、それがSDGs。

 

 

 

最近の燃料費の上昇を受けてイチゴの価格の上昇が話題になることが多いように感じられる。

 

これからクリスマスなどでケーキやスイーツにはイチゴが欠かせないが、イチゴを栽培するための広大なハウスにはずっと暖房をしなければいけない上に、収穫したイチゴを輸送するための燃料費がかかるからだ。

 

SDGsという観点からすると誰でも疑問に思うだろう、イチゴを栽培するのに暖房が必要なのはなぜと。

 

植物や野菜には旬の時期というのがある。

 

旬の環境下では、ほったらかしにしても育つので、イチゴの場合だと旬の時期に栽培すれば掛けるコストは最小限で済む、この理屈はイチゴ以外にも当てはまる。

 

環境が変化すると、旬の時期が変化したり、さらには生息域すら変わり得るのだが、余計なエネルギーやコストを掛けることで旬という束縛から逃れようとしたことが、ここに来て持続可能性がないと言われるようになってきたのがSDGs。

 

本来のイチゴの旬は、4月〜6月。

 

それに対して現在の流通上の旬は12月〜5月。

 

つまり、12月〜3月に流通するイチゴには少しムリが掛かっているということになる。

 

本来のイチゴは冬の寒さを感じることで間もなく春が来ることを感じ取り、春になって成長が始まるので、暖房をかけて擬似的な春の環境を作るだけではダメで、夏の時期に擬似的に冬を経験させなければいけないのだ。

 

自然に旬の時期に育つイチゴに比べていかに余計なコストが掛かっているかが分かる。

 

旬に関係なくイチゴを味わえるようになったことをどう感じるかを大きく分かれ始めさせたのが最初のキッカケが価格なのだ。

 

食べたいけど高過ぎて買えないという持続可能性の壁が立ち塞がり始めてるのだ。

 

この延長線上に、高いから売れないものを、余計なコストを掛けてまで作る意味があるのか、という持続可能性への疑問が出て来ざるを得なくなるのは明らか。

 

 

SDGsを新手の金儲けのキーワードと感じると胡散臭いだけだが、無理を通したために引っ込んでいた道理が再度復権しようとしてるのであれば、それは当然のことのように感じられる。