東大生の7割が、コロナで余儀なくされたオンライン授業に満足してるという調査があるらしいと伝えるYoutubeを見た。
実験や実習など対面が必要な場合を除けば、オンラインの方が成績など得られる結果も良くなってるという場合も増えてるらしい。
オンラインで学生が可哀想という声が多いが、小学生や中学生はさておき、それ以上の学生にとって学生とはなんだろうかと思った。
まあ、何事にも建前と本音のギャップがあるものだ。
なにも無い状態で、新しいものを作ったり企画する場合は、自ずとコンセプトが必要になるし、出来上がるものだ。
コンセプトや理念がなければ、新しいことを作ろうというモチベーションは生まれない。
コロナや少子化で揺れる大学(経営)だが、大学が何なのかがよく知れ渡ってない時代には、建学の精神を掲げ、その理念のもとに学生が集まっていたように感じる。
しかし、現代では実質的な建学の精神があったり、建学の精神が生きているような大学はほぼないはずだ。
実際に展開されているのはただの商売で、大学はコスパを意識した運営を考え、生徒側もコスパを意識しながらいろいろなものを天秤にかけて、大学に行く方が得だと思えるから行ってるだけに過ぎないだろう。
おそらく、受験の激化の背景に出生数が関係していて、受験が受験戦争と言われ始めた頃からそうなり始めたと思えてくる。
出生数が多い頃には、大学側が選ぶ側で、学生は選ばれる側だったが、受験という形態の関係上、表面的にはそれは今でもだが、現代では実際には学生の側が選ぶ側になっていて、大学側は選んで欲しいと願う側に転じている。
減少する出生数に反比例して大学が増えたからだ。
今の大学にとっての学生はお客様なのだが、もし建学の精神が機能してれば、本来は宗教と信者の関係に近いはずだが、その関係性は最近の会社と社員の関係にも似ている。
建学の精神に当たるものが希薄になり、あるいは消えたことで、関係性も薄いものになっていて、儲かると思える間だけ、得をできると思える間だけ成り立ち、維持される関係性になっている。
この大学と受験生の関係に似たような逆転現象は、社会の至るところで起きているはず。
あらゆるものがビジネス化してる現代では、会社やビジネスと社員の関係に準えられるものにはすべて当てはまるのではと思えてくる。
ビジネス化とは無縁なはずの隣人関係やご近所関係にも及んでいるような気がする。
もしかしたら、この変化は家族関係や親子関係にも及んでいるかもしれない。
世間で起きる出来事には、そう感じさせるものがどんどん増えているような気がする。
そんな一方で、時代のキーワードが共感だったりする。
現実の人間関係は希薄なのに共感ばかりを求め、それに反応することが詐欺の温床になってるようにも思える。
おそらく共感もビジネス化してると思った方が良さそうだ。
詐欺に騙されたくなければ、詐欺を企てる者の考え方や感じ方を知ることは有効になる、これも共感が関係してると言えそうだ。
おそらく詐欺を企てる者は、詐欺に引っかかる人の心理が何に共感するかを経験的に知っていて、そこを突いているのだろう。
東大生の7割がオンライン授業に満足してるという話を聞いて、満足できてる学生にとっては、そもそも大学は必要なくて、自習で事足りたのではないかと思えた。
希薄な人間関係下では、人は狸か狐になり、お互いに化かし合いを展開してる姿が見えてくる。