違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

クソどうでもいい仕事=Bullshit Jobs!

コンサル系の企業の採用面接では、『社会の役に立つ仕事がしたい』という志望理由は定番の一つらしいが、この傾向はコンサル系の企業に限らないだろう。

 

ちなみに、上記のような志望理由をあげた志望者に対して意地悪な面接官は『あなたが考える社会の役に立たない仕事とはどんなものですか?』と聞いて、わざと志望者を返答に窮させることがあるらしいと聞いたことがある。

 

つまり、この世には、役に立たない仕事なんかないはずだという前提が成立している、

 

はずだったからだ。

 

 

 

役に立つとは、その仕事を求めるお客がいるという意味だとすると、給料が出ると同義語でもある。

 

給料がもらえていれば、表面上は役に立ってるということになる。

 

しかし、やっぱりしかしがついて回るのだ。

 

 

世の中は「クソどうでもいい仕事」で溢れている…コロナ禍で気づいてしまった人たち 誰にも必要とされない、 やる意味がない

 

 

この記事の中から、印象的な部分だけをフレーズで抜き出すと、

 

 

  • 誰かを「管理」するだけの業務は、ブルシット・ジョブになりやすいというのは一つの特徴だ。

 

 

  • どうでもいい仕事しかしない一部の管理職や経営者の中には、自分の存在意義を示すべくあえて仕事を増やす者がいる。

 

 

  • 「これらの作業は、国民のためでも何でもありません。単に、役所内のメンツや各級官僚の保身、責任回避のために維持されているだけの業務です。しかし、これらの無駄について、無駄だと指摘して動いた上司は異動になりました。政府や厚労省はコロナで国民に行動変容を求めていますが、もっとも変容したくないのが官僚組織なんです」

 

 

  • 以前から、つまらない仕事というものはいくらでもあった。だが、いまや私たちは、はっきりと自覚してしまった。ただ辛いだけではなく、誰にも求められない、なんの意味もない仕事が、あまりに多すぎる。

 

 

おもしろい記事なのでぜひ本文を読んでください。

 

 

ごく自然に出てくる『社会の役に立ちたい』というセリフは、一種の夢や希望的なものであって、どこかで自分が社会の役に立てればいいなという漠然としたものに過ぎなかったということでもあるだろう。

 

具体的に何がやりたいのかをはっきりさせることなく大人になる日本人は多い、ほとんど全てと言って良いくらいだろう。

 

世間や身近な周りの人に左右されたり、影響を受けながら、自分の本音をオブラートに包みながら、あるいは本音がなんなのかすらわからないまま生きてる人が多いはずだ。

 

だから、本音で生きるきっかけには、ドロップアウトや挫折が必要だったりする。

 

ドロップアウトや挫折の結果の、開き直りや悟りで、自分の本音に気づくのかもしれない。

 

 

記事本文に書いてあるが、クソどうでもいい仕事と言い切るのは昨年出ていた次の本の日本語タイトルで、BULLSHIT  JOBSの訳語で忠実に訳すと、牛の糞のような仕事となる。

 

 

 

 

日本のガラパゴスの話ではなく、世界共通のことのようで、人に起因した問題というよりも、人間関係を含めたシステムの問題のような気がする。