役に立つことばかりを求めることが世の中の閉塞感を強めてる。
公的な研究費は競争的資金で、獲得するには「どのように社会に役立つか」を説明しなければならない。研究費を確保するために、研究者同士が潰し合いになっている。
2016年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典氏は日本の現状を憂いていた。
これ以降、その傾向はますます強くなっている。
話題になってるツイートがあった。
「将来役に立つことだけ勉強したい」は、「大人になってもずっと友達でいられる人とだけ仲良くなりたい」みたいな意見だなと、最近思う。
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) 2024年1月19日
役に立つとは手っ取り早く成果が上がること、多くの人にとっては手っ取り早く儲かることでもある。
これは搾取の連鎖を生む。
手っ取り早く儲かりたい人を集めて儲けを画策するのは詐欺師ばかりではなく、世間で立派だと評されてる経営者もだし、国民を見る政治家の目でもあるだろう。
役に立つという概念が限りなくコスパが良いと同じになっている。
かつて投資とは、コスパが良いというには時間が掛かるかもしれないことを対象にするものだったが、そこにも時間の短縮が求められるようになった結果が、過剰な役に立つ重視だろう。
多くの人は、役に立つの反対語を『役に立たない』と思うのだろうが、役に立つという界隈を別の表現をするとレッドオーシャンとなるだろうし、レッドオーシャンは別の表現をすると過剰な混雑や過剰な集中を意味するだけで、結局はコスパも悪いし行き着く先は役に立たないになりそう。
賢いつもりで役に立つことばかりを考えてる人のなんと哀れなことか。