スマホ脳という本が話題になってる(ような気がする)。
著者がインタビューを受けて語ってる次の話はおもしろい話ばかりだが、わたしが『なるほど、やっぱりそうだったのか』と思ったのが引用した部分。
スマホの魔力が脳をハックする。『スマホ脳』著者が語る、スマホ依存の正体
アンデシュ・ハンセン氏(以下、ハンセン氏):人間の生態は1万年前からあまり変わっていません。昔、人間はずっと狩猟採集民として生活していました。常に危険と隣り合わせの生活の中では、他のことに注意を向けること、言い換えると「気が散りやすい」という性質は、生き延びる上で非常に重要だったと考えられます。
狩猟民族とは危険の種類や程度は違うが、農耕民族にも当てはまるだろう。
気が散りやすいと表現されると、集中できないことを意味し、悪いことのように感じるが、そのことを現代風に言いなおすと、シングルタスクの高速切り替えであったり、シングルタスクという波を次から次にサーフィンしてることになるのでは、と思える。
だとすると、持て囃されるマルチタスクは本当にマルチなのかは疑った方が良いだろう。
気が散ってあれもこれもと手を出した結果が、たまたま良かっただけかもしれない。
だとすれば、再現性は低いはず。
この本が出る前、同じようなテーマでNHKも特集を組んだことがあった。
“スマホ脳過労” 記憶力や意欲が低下!? 2019年2月19日
いろいろなことを同時並行にやっていると思うのですが、脳は、実はマルチタスクはすごく苦手なんですね。できれば1つのことに集中したいのに、いろいろなことを同時並行できないから、早く切り替えていく。そうすると脳にストレスがたまっていくというのが、今、スマホで起きている脳過労の原因なのではないかなと思います。
この傾向は、スマホが普及する前からあったような気がする。
携帯電話の登場以降の通信技術の発達と、1995年のWindows95の登場で家庭がサテライトとして機能し始め、モバイルというジャンルが少しずつ顕在化し、10年くらい前からその存在が無視できないレベルになっているが、だからと言って、今更スマホをはじめとするモバイル環境を悪者にしたってしょうがないはずだ。
このように考えていると、現代人に特有の病気としての生活習慣病(以前は成人病と呼ばれた)との共通点に思い当たった。
人類の誕生が600万年〜700万年前とされる、諸説あるのでこれが正しいかは別にして、歴史的に見るとつい最近になるまでは多くの人類にとっては、生きることを阻むのは飢えと寒さだとされた。
しかし、都市型の生活ができてる現代人は、食べ過ぎと運動不足という問題を抱え始めた。
おそらく現代人のDNAにはまだ過去の歴史が多く刻まれてるはずなので、食べ過ぎや運動不足が慢性化した場合への対処というのは刻まれてないはず。
食べ過ぎているのに、身体は飢えに対抗するように反応する、それが生活習慣病につながっているとすれば、これは意思でコントロールできない自律神経系のトラブルで、つまるところ脳の問題に行き着く。
食べ過ぎや運動不足の問題と、スマホ脳に代表される過剰な情報摂取や、マルチタスクと呼ばれる複数の情報を同時処理しようとして人間が異常を来すのも、どちらも同じ構造の脳の問題に見えてくる。
共通してることは、嫌なことをさせられての結果ではなく、自らやりたくてやって嵌っていくのだ。
好きでやっていてもやり過ぎると良くないと言われるものは昔からあった。
やり過ぎにはさまざまなものがあるのだが、改めて考えてると、問題になるやり過ぎには傾向があるような気がしてくる。
やることが好きでやってることの場合よりも、やる理由はやった結果を求めての場合というケースで、問題が起きることが圧倒的に多いように思える。
最初は好きから始まっていても、途中からは好きだからというのは動機から消えてしまってる場合が多いように思えてくる。
好きで始めたことでも、継続する理由は好きだからではなくなっているのだ。
だから、不満が多くなる。
怒りやすい人やキレやすい人が増えていることとも無関係ではないだろう。
やろうと思えばなんでもできる時代に一見なっているのだが、結果が出せることは何かと問われたら『何もない』という時代でもあるのだ。
何もないのは探し方が悪いからかもしれないし、まだ足りない何かがあるのかもしれないと、もっともっとと情報を求め続けることがスマホ脳につながる背景にあるような気もする。
脳内で起きてる作用は、不足しても過剰でも問題で、それは感情や意欲を極端に上げたり下げたりする。
現代人は、外見からは分かりにくいが、脳内や身体内は極端な振幅で揺れている。
私たちは、気づきにくい自分の内側にあるものに、コントロールされているのだが、そのことに気付けるのは自分自身しかいないのだ。
『スマホ脳』、まだ読んでないが、予測してるような内容なのか確認するために読んでみようかという気になってきた。