そこそこの財産と知名度を獲得して悠々自適な人生が約束されていたはずの辛坊治郎さんが、それなりの財を払い命の危険を冒してまで単独でのヨット航海に挑戦している。
無名の人がやけくその一発逆転を狙っての無謀な冒険ではない。
一つ間違うと失うものばかりで、一般的な先入観として持つ『失うものなんか何もない(=何も持ってない)』からいまさら自分の命だけを大事にしてもしょうがないから冒険でもするか、というような動機ではないはず。
そういうことを考えながら思った話。
何も持ってないからいまさら失うことを恐れる必要はない、だから無謀なことでも挑戦しろ、啓発ものにありがちなフレーズで人生大逆転のサクセスストーリーに花を添えることが多い。
失うものが大き過ぎることは、心に恐怖を与える。
この恐怖は、持ってるものが大きくて多い人ほど強いと思い込みがちだが、よく考えると、持ってるものが小さくて少ない人ほど、失う恐怖を自覚すべきかもしれない。
持ってるものの全てを失えばどちらも同じだが、現実には全てを失ったように見えても、それでも残るものはある、生きてさえいれば。
失うことを恐怖する持たざる人の心理は、現代だと保険に意識を向かわせるかもしれない。
持たざる人は保険を祈りのように感じるだろう。
祈りを手に入れた人は、なぜか大胆になる。
一方、持ってる人にとっては保険は損か得かに過ぎない。
損か得かの境目や分岐点には敏感に反応する。
だから、常に計算を働かせる。
計算と実際を一致させるためには、持ってるものは大事に有効に使うことを意識するはず。
一方、持たざる者は、わずかだが持ってるものを粗末に扱う傾向が強い。
誰だって持ってるものだと感じているからかもしれない。
それすら失ったら大変なことになるとは考えなさそうに見える。
象徴的なのは健康だ。
健康保険があるからいくら病気になっても大丈夫などと思い込んでる人が多そうだ。
話を冒険に戻すと、
世界に名だたる冒険家に留まらず、ほとんどの冒険にはスポンサーが付く。
冒険が目的の冒険もあれば、現地調査や学術研究をサポートする裏方としての冒険もあるが、いずれにしてもスポンサーに依存することが多い中で、辛坊治郎さんは全額自腹なのだ。
前回の失敗で、羹に懲りて膾を吹く、と思えないこともないが、実行できることは大したものなのだ。
辛坊治郎、来春にヨット太平洋横断“再挑戦”へ「スポンサーはつけず、全額自腹で行きます」 2020/11/25
⛵#辛坊治郎 帰路は明日出発⛵
— ニッポン放送 (@1242_PR) 2021年6月21日
帰りの太平洋横断は日本時間の明日夜に出発することを発表!#辛坊治郎ズーム での辛坊さんからの報告はこちらからお聴きいただけます▼https://t.co/9n1DhsTncT#ニッポン放送https://t.co/5HOdXmejxW
すでに復路のスタートを切った辛坊治郎さんだが、今回のヨット航海が全額自腹であることを上記の記事が出て以降取り上げてる話題がほとんどないように感じたので敬意を評して書いてみた。
今回のヨット航海で、わたしの辛坊治郎さんへの想いは180度変わっていることが我ながら不思議だ。