??と思うニュースが流れてきた。
ツール主催者、大クラッシュの原因つくった観客に対する訴え取り下げ 7/1(木)
クリスチャン・プリュドム(Christian Prudhomme)大会ディレクターは、「事故は大げさに騒ぎ立てられた」と述べ、「よって事態を鎮静化させたい。沿道のファンは気を付けなければならないというメッセージは伝わったはずだから」と述べた。
最初は??だった気持ちは、別の視点で見ると『そりゃそうかも』と思えてきた。
オリンピックと重なるのだ。
つまり、『主役は誰か?』の解釈次第なのだ。
選手が主役だと思うと??と感じられることも、選手は脇役だという視点を持つと商業的な駆け引きが見えてくる。
一般公道で行われるツールドフランスは沿道の距離が長いこともあり、レースだけでなく観客の存在が盛り上がりに華を添えるのだ。
日本人だったら馴染みがあるだろう、そう箱根駅伝の自転車版なのだ。
駅伝だから観客が集まるわけではなく、箱根駅伝だから観客は集まるのだ。
箱根駅伝が特別な存在でいられるのは観客の存在が大きいが、ツールドフランスはその比ではないのだ。
二日に渡るレースの箱根駅伝に対してツールドフランスは三週間続く。
テレビ観戦者35億人、沿道の観戦者1000万人以上と言われ、毎年コースが変わるとは言え総走行距離約3500kmに及び、その間沿道の観戦者が途切れることなくレースが続くことが観てる者の興奮や感動を掻き立てるのだ。
そんな盛り上がりに水を差すわけにはいかないという思いが、訴えの取り下げにはあると感じられた。
訴えの取り下げは選手のセキュリティの軽視にも感じられるが、主役は観客だと考える筋にとっては自然な反応なのだ。
同じことが違う形で現れていたのかもしれないと、思い出したセリフがある、若い方は知らないだろう。
『たかが選手の分際で』
2004年の6月、日本のプロ野球界は大騒ぎになっていた。
突然球団の合併話がスクープとして日経新聞に出て、その翌日には1リーグ制への移行の話が出た。
突然出た話だが、展開の仕方から水面下で動きがあったことは十分想像できる。
ほとんど間をおかずに堀江貴文氏の新球団設立の話などが湧き上がり、プロ野球選手会も動き出し、会長の古田敦也氏が『オーナー陣と話がしたい』と言ったとか言わないとかで話題になり(伝言ゲーム的になったため)、そのことに対して巨人の渡邊恒雄オーナーが『たかが選手…』発言をしたとされている。
スポーツビジネスの経営者の本音が出たのだろう。
スクープしたのが日経新聞というのも生臭さを強くする。
それから15年以上経っての東京オリンピックの様子を見ていても、この傾向は健在なのだろうとしか思えない。
価値観としては健在でも、それを露骨に押し付けることは今の時代の空気が許さない。
真夏の猛暑の中で行われる東京オリンピックに関しては選手の健康に気遣う声も大きいが、そこはたかが選手のことと乗り切ることは当初からのお約束だったようだ。
IOCが、東京オリンピックの選手らに求める参加同意書に、自己責任のリスクとして、コロナや猛暑による「健康被害」を盛り込んだことが明らかになりました。https://t.co/a5z2Qo3vNs
— 毎日新聞 (@mainichi) 2021年5月29日
東京オリンピック終了後に世間の空気は少しは変わるのだろうか?