違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

刺激を求めれば求めるほど退屈なものしか見つからない

今年日本ではオリンピックが開催されたということを覚えている方はどのくらいいるだろうか?

 

オリンピックコンテンツの放映権を独占してる米NBCの好き放題ぶりが話題になっていた時期があった。

 

今日たまたまアメリカでは東京オリンピックの視聴率が悪かったことに触れるツイートを目にした。

 

視聴率というよりも視聴者の絶対数が減っているのだ。

 

好き放題だと思っていたNBCも結構ツライのだと。

 

アメリカでは、ほぼすべての種目が何らかのメディアやチャンネルでリアルタイムでも時間をシフトさせても放送されていたのに芳しくなかった理由として、

 

  • コンテンツ数が多過ぎた
  • 時差があり過ぎた

 

などが挙げられていた。

 

ちょっと検索すると、

 

 

米オリンピック視聴率激減が示すこと。アメリカ人は本当に五輪を観なくなった?それとも・・・

8月3日の夜までの平均視聴者数は1680万人。もっとも視聴率が高かった日は先月25日で、それでも2000万人強だったとニューヨークタイムズが報じた。

 

アメリカの人口は日本の3倍の約3億3000万人だ。​​1680万人という数字が低いと見るか高いと見るかは人それぞれだが、少なくとも2016年のリオ五輪の同時期の数字、2900万人と比べてみても、1220万人も激減したことがわかる。

 

視聴率の低迷と言えば、先月23日の開会式もそうだ。NBCは朝の時間帯とゴールデンタイムを使って開会式の模様を伝えたが、視聴者数はテレビとストリーミングの両方で1700万人弱だった。こちらの数字も、開会式として過去33年間で最低値だ。

 

フォーブスによると、これまでの開会式の視聴者数は、平昌オリンピック(2018年)が2830万人、リオオリンピック(2016年)が2650万人、ロンドンオリンピック(2012年)が4070万人、北京オリンピック(2008年)が3490万人だったので、それらと比べても東京オリンピックの数字はかなり少ない。

 

 

 

この記事では、アメリカ人の視聴習慣の変化が顕著になっていて、オリンピック以外のコンテンツでもテレビ離れが起きているとまとめている。

 

日本でもテレビ離れはよく言われるが、それはコンテンツの偏りと貧弱さゆえだと捉えられがち。

 

思い返せば、テレビは一家に一台で家族で見るものという時代を経て一人一台と言われるまでに伸び、現代ではテレビから離れモバイル的に一人どこでも一台が実現している。

 

 

その結果、時間潰しには事欠かなくなった代わりに、本当に見たいものや知りたいことが何なのかが分かりにくくなっているのだ、きっと。

 

 

結果として、感動や自分にとっての特ダネを探しているのに、どれもが陳腐な予定調和にしか見えなくなるのだ。

 

今年のMLBのMVPに最終的にメジャーなタイトルに関しては無冠で終わった大谷翔平さんが満票で選ばれたのは、その存在が予定調和からかけ離れていたからだ、と思うと納得できる。

 

逆に考えると、多くの人が夢中になれるものや刺激的なものを探せば探すほど、退屈なものしか見つからないのが現代なのだ。

 

 

こんな時は反対語がヒントになる。

 

退屈の反対語として出てくるのは、熱中や没頭。

 

 

熱中できそうなことや没頭できそうなことをどうやって見つけるか?

 

調べたり検索したりが容易になり、そこで集まる情報が濃ければ濃いほど、熱中や没頭からは遠ざかりやすくなるのかもしれない。

 

以前は『ググれカス』と言われていたが、いつの頃からか『ググるカス』と言われることも増えた。

 

その意味については解釈が多様だが、知ることがマイナスにつながることもあるのだ、入手する情報によっては。

 

現代は、熱中や没頭を奪う情報が溢れていることは意識した方が良いだろう。