ペンは剣よりも強し、と思えばこそマスコミは強者と位置付けられる。
だから、マスコミには反権力、反権威、反体制の気概が求められる、と思っていた人も多いだろう。
少なくとも歴史を振り返るとそういう役割を果たした時代もあったことは感じられる。
しかしいつの頃からか、所詮お釈迦様の手のひらの上でイキってるだけの悟空的な存在にしか見えなくなっている。
この場合のお釈迦様とは、もちろん権力であり権威であり体制だ。
マスコミは、情報の速報性や有意性や正確性においても優位性を保てなくなっている。
こういう時代になると、個人の持つセンスや感性や判断力が重要になる。
コロナの発生で過去の常識が常識として通用しなくなり、過去を基準やお手本にできなくなると、それぞれの立場で好き勝手なことを言い、行動するようになる。
さらに、ロシアのウクライナ侵攻でも、こうなることは予想されていたようでもありながらも、実際に起きてることは想定外であるようにも感じられる。
国家と国家の諍いに端を発してるようだが、実際にはアメリカ国防総省が報告するように、プーチンがアスペルガー症候群による被害妄想が嵩じただけという説も急に正当性を持ち始めている。
プーチンがアスペルガー症候群であるということはマスコミ的には触れることはタブーなようで、そのことに触れないことで伝えることばには力が無くなっているのかもしれない一方で、そのことをタブー視しない個人や組織はフェイクになることを恐れることなく発言し、そのことが伝えることばに更なる力を与える。
『ペンは剣よりも強し』と言われた時代の剣は切れ味が鋭かっただろう。
しかし現代では、さまざまなタブーを設けて切りたいものが切れない剣になったり、逆に切ってはいけないものまで切ってしまう剣のような、剣の格差が広がっているように感じる。
真実を知りたいならば、フェイクを避けてはいけないような気がする。
さまざまなフェイクを知ることで、結果としてその中央に真実を感じ取れるかもしれない。
所詮感性やセンスの世界の話で、教科書的な答えが得られるわけではない。
ただ、真実という虎子にリーチしようと思うならば、フェイクという虎穴を避けては行けないようになったのだ。