今日で3月も終わり、明日からは新年度が始まる。
わたしのように今日も明日も大して違わない人も多いだろうが、全く新しい生活が始まる人もたくさんいるはず。
新しい生活と言っても悲喜交々かもしれないが、喜を獲得した人々の中には関門を突破し勝ちをゲットした人が少なくないはず。
試験を突破した人ならば、点数や評価が良かったからだろう。
入試の場合、受験生であれば合格最低点で構わないから受かりたいと思うだろう。
それに対し傍観者の世間は、『合格最低点で受かった人は入学後に辛い思いをするだろう』などと評論家気取りで皮肉る。
しかし、これが格闘技だったらそんなことは誰も言わないだろう。
反則は論外として、勝ち方がどんなに不細工で姑息であっても、まさに勝てば官軍だし、仮に全くの不運としか言いようのない負けであっても負ければ賊軍になる。
勝ち方に綺麗も汚いもないと、勝負に臨む人は誰しも思う一方で、どうせ勝つなら圧倒的勝利を手に入れたいという思いも拭えないだろう。
受験だったら試験開始直前には満点取れば文句はないだろうと意気込む人は多いはずだ。
勝負事の場合、敵は相手であり自分自身。
スポーツの場合だと、声援が後押ししたなどと勝因を上げる場合もあるが、他の勝負事でこの声援に当たるものは何になるだろうか?
勝負事の場合、誰しも勝ちにこだわるのは当然だとしても、心に余裕がある人は勝ちよりも勝ち方によりこだわるだろう。
美しい勝ち方、カッコイイ勝ち方を求めるだろう。
一見美学に感じられるが、心に隙を作る邪心と紙一重の心理でもある。
心に余裕がない勝負に臨む人は勝ち方へのこだわりなど描けない。
持ってる実力を発揮することが精一杯だ。
勝ちへの意識が過剰になり過ぎるとかえって実力は発揮できないものだ。
さて、勝負事では、勝ち方にこだわるのと勝ちにこだわるのはどちらが賢明なのだろうか?
勝ち方にこだわれるのは実力差が大きい場合が多く、競り合ってる場合には勝ち方まで気が回らなくてもしょうがないような気もする。
勝ち方にこだわる人にはヒーロー願望がありそうな気がする。
世間の人々はどのような勝負に挑んでいるのだろうか?