違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

お気持ち〇〇

今朝寝起きで何気なくTwitterを見てるとおきもち表明というワードが目に付いた。

 

そう言えば以前ブログでお気持ちヤクザというのを取り上げたことがあったなと思い出した。

 

2018年10月だった。

 

その後2020年にはお気持ちヤクザと対をなすものとして繊細チンピラというものが世間にはあることを取り上げた。

 

今朝見たおきもち表明は、これらのお気持ちと同じものだろうと感じられるが、自分のブログを再読してもその由来には触れてなかった。

 

 

由来を遡ろうとGoogle Trendsを見ると、おきもち表明では何も出なかったが、お気持ち表明で調べると2016年8月と出てくる。

 

 

2016年8月にはこんな出来事があった。

 

見ると思い出すのに、見なければまったく思い出さなかった。

 

天皇陛下「お気持ち」表明 

天皇陛下は8日、「象徴としてのお務め」について、自身のお気持ちをビデオメッセージの形で国民に向けて発表された。

 

今後の身の処し方に触れ、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と述べた。

 

 

 

心の中では思っていても口に出すことは憚られる、そんなことは自分を厳しく律してる人ほど持ってるものだろう。

 

一方で現代では、その時々の不平不満を本音と称して気軽にぶっちゃける人は街にもネットにも溢れている。

 

おそらく不平不満を気軽にぶっちゃける人の多くは、自分を厳しく律するなどとは無縁に生きてる人だ。

 

だから、その発言には皮肉を込めて『』が付けられるのだ。

 

 

ちょっと色が違う『お気持ち』には、テレビでレポーターが発する『今のお気持ちは?』がある。

 

犯罪の加害者に向けられるならばあまり違和感はない、社会的な制裁と思えるからで、当然だと感じやすい。

 

しかし、この言葉はむしろ被害者や被害者の身近な人に向けられることが多い。

 

当然そのレポーターや番組やテレビ局には非難の声が向かうが、そういう番組ほど何故か見てる人が多いのは、あるいは見てはないが知って非難の声を拡散する人が多いのは、日本人が場違いなお気持ちを好む民族であることを示してる。

 

最近だとこれだ。

 

 

どうやら無言を貫く有吉さんの過去の発言に対するお気持ちヤクザが湧き出しているらしい。

 

 

有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」  2022年01月02日

すると上島は「俺、はっきり言うよ。嫌だよ! 嫌だ嫌だそんなの。もし死んだとしても呼ばれて死にたくないね。俺は尊敬はしてるけど嫌だよ!」と激高。有吉は「思い当たるフシがあるような嫌がり方してる」と大爆笑していた。

 

そんな二人の関係性は、

 

 

 

自分を律しきれない人ほどお気持ちを言いたがるのが今の日本だ。