長い時間を経て変化する出来事を見てると、昔は社会に許容されていたことが時間を掛けて否定されるようになったとも言えるし、自主的にNoと判断するには一定の時間が掛かってしまうのかもと思ったりもする。
【暴力的な笑い 終えんに向かう?】https://t.co/jI94dh28pQ
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2021年9月24日
日本テレビが大みそか恒例の「絶対に笑ってはいけない」シリーズの休止を決定した。原因について、専門家は「痛がったり苦しんでいたりするのを面白がるお笑いに、世間の目が年々厳しくなっているということはあるでしょう」と指摘する。
最後の牙城『笑ってはいけない』休止で終焉に向かう“痛みを伴う笑い”
昔から暴力的な要素が目の敵にされてきた歴史はあったんです。ただ、最近はその感覚のほうがより一般的になった。特に若い世代は、もう体罰で親に殴られることもない、先生が生徒を殴っちゃいけないというのが当たり前になっているので、暴力に対する嫌悪感も昔よりはるかに強い。そういう時代だから、どんどん暴力的な笑いは受け入れられなくなったのでしょうね」
このような出来事を考えていたら、上記の話題とは全く関係ない極めて個人的な話なのだが時間の流れで変化した自分の気持ちに改めて不思議を感じてる。
わたしは子供の頃から墓参りをした記憶がなかったし、物心ついて親が墓参りに行く時は、行くのが嫌なので留守番をしていた。
墓参りに不気味な思いを持っていたのだ。
そのまま大人になり、すっかりいい歳になった頃、仕事を通じて知り合った勉強会の後の飲み会で、墓参りをしない奴は仕事ができないという話になったことがある。
その場に居合わせたほとんどの人がその話に同意する中で、わたしは自分が墓参りをしたことがないとは言えなくなっていた。
なんとなく気になるようになったが、実際に墓参りをするようになったのは父が亡くなってから。
お墓はお化けが出る場所と思い込むと気持ち悪いが、亡くなった人に会える場所と思うと怖い場所ではなくなる。
それ以来、むしろこまめによく行くくらいになった。
なんであんなに墓参りを嫌がっていたのだろうかと不思議になる。
行くと、特に悪いことをしてるわけではないのだが懺悔ができたような、リセットできたような気がして気持ちが良いのだ、墓参りをする人はきっとこういう気持ちを求めて来るのだろうなと感じる。
当たり前といえば当たり前なのだが、お墓の前では嘘を吐かない自分になれる。
悪いことはしてないとはいえ、反省したりやり直したいことばかりが出てくる、そういうことが流れていくような気がして心が少し軽くなる。
心を軽くしたい人には、お墓参りはおススメ。