違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

コロナの前と後、今は歴史の過渡期であり転換期かも!?

一斉休校やイベントの自粛という同調圧力がもたらす社会不安は、成り立っているエコシステムをいともたやすく壊すんだということが感じられる今日この頃。

 

東京オリンピックは、開催されても中止されても、来日客や上京客を激減させると予想されている。

 

来日客や上京客を見込んで投資されていた分野はたくさんあるだろうが、それらも大きく見込みを狂わされることだろう。

 

民泊を当て込んでの不動産投資なども大きく予定が狂うだろうが、一方で医薬品や衛生関連業界には特需をもたらしているので、投資というスタンスで捉えると、着実に儲けてる人もいるのだ。

 

しかし、多くの人々にとっては、他人の事情は案外分からなくても、街の人出に変化が出てるくらいは感じているだろう。

 

 

 

 

 

社会不安が巻き起こる際につきものなのがデマ。

 

他人を困らせて喜ぶ愉快犯もいれば、自分への利益誘導を狙う確信犯もいる。

 

愉快犯も確信犯も、自分たちの意図が意図した通りに一般大衆に伝わるというプロセスを通じて目的を果たそうとする。

 

そんな一般大衆に伝える役目を担っているのが報道でありSNSを含めたメディアだ。

 

私たちは、自分の目の前で起きてる事実や、自分自身が直接見聞きした一次情報よりもはるかに多くのことを、受け身で入手した情報に頼っているが、そのことを日常で意識することは少ない。

 

3月は決算月で業績の行方は株価を含め多くの投資案件に影響を及ぼすので、愉快犯や確信犯がこれから色々な仕掛けを一斉にばら撒くはずだ。

 

 

 

ところで、特に多くの人が亡くなってるわけでもないコロナウイルスがなぜここまで恐れられるのだろうか?

 

世界中が社会不安に巻き込まれている。

 

このような時は、愉快犯や確信犯の行動は陰謀と呼ばれがちだ。

 

 

愉快犯や確信犯にその気があるかは分からないが、結局お手本にしてるのはヒトラーの大衆扇動術で以下のように大衆を定義する。

 

  • 大衆は愚か者である。
  • 同じ嘘は繰り返し何度も伝えよ。
  • 共通の敵を作り大衆を団結させよ。
  • 敵の悪を拡大して伝え、大衆を怒らせろ。
  • 人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
  • 大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。
  • 利口な人の理性ではなく、愚か者の感情に訴えろ。
  • 貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
  • 都合の悪い情報を一切与えるな。都合のよい情報を拡大して伝えよ。
  • 宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚・聴覚を刺激して、感性で圧倒しろ。

 

 

そんなヒトラーは最期は自殺に追い込まれてるが、そのきっかけは最側近ヒムラーの裏切りだとされている。

 

 

 

コロナウイルスの場合の裏切りが何に該当するかは不明だが、裏切りによって終息を迎えるのではと感じている。

 

そうなるまでの間は比較的長期に及ぶ可能性が高そうだが、否応なく時代の空気感が変化するだろう。

 

すでに一部の人の間では、コロナの前と後で社会や歴史が変化すると言われ始めてる。

 

コロナは、行き詰まりを指摘されながらも盤石で簡単には壊れそうにないように見えたグローバル化や資本主義に明らかなダメージを与えている。

 

 

コロナウイルスが巻き起こしてる混乱は、見方を変えるとチャンスに溢れているかもしれない(転売のことじゃないよ)。

 

コロナウイルスが広まる前のシステムに執着するのか、それとも新しいシステムを模索するのか?

 

 

今は大きな過渡期であり転換期だと、未来の教科書には記載されるかもしれない。