記事に書かれてる事件のことは全く記憶になかった。
タイトルに惹かれて記事を読んだが、想定外の展開だった。
「アレフから娘を取り戻したかった」と元妻を惨殺した男 子どもたちが法廷で明かした“父親の真実”とは 2022年08月14日
検察官「Aさんが子どもを連れて施設に入った際、あなたが抗議して子どもを取り戻してますが、その後まず長女、次に次女があなたのもとを離れて母のところへ行きましたね。これは何故だと思いますか?長女も次女もあなたの暴力が原因だと言っていましたが」
西村「それは違います。それはもう、洗脳されとるからです」
検察官「ところが、次男もあなたの元を離れたのは『暴力が怖かったから』だと言っています。彼は宗教はやっていませんよね」
西村「次男は優しい男で……しょっちゅう、警察沙汰になって私から怒られてました……万引きはするわ……で、謝りに行きました……」
検察官「つまり次男が家を出たのはあなたの暴力が原因ではないと?」
西村「……いや、それもあると思いますが、そればかりじゃない……」
検察官「長女も次女も長男も、あなたの暴力が怖かったと証言しているんです。それを受け止める気はないんですか?」
西村「それは思いますが、私は加減を心得てて、しつけの範囲と……」
昨今の世相からすると、宗教が絡むと宗教側が悪という予定調和が成り立ち易いが、上記の事件の場合父親の暴力が伏線としてあったようだ。
いや、伏線ではなく、父親の暴力こそが諸悪の根源で、その暴力からの逃避先であり受け入れ先がアレフだったのだ。
この場合、アレフ側になんらかの意図があったとしても、それは一方的に責められることではない。
そうすると、見え方が全く変わってくる。
冷静に事実を見極めたいと考えるような場合には、できるだけ形容詞や修飾語を省いて考えようとするが、そうすると肝心な事実関係が見えなくなることも少なくないのかもしれない。
人間が感じたり考えたりした結果の行動の積み重ねは、必ず物語になる。
物語は鑑賞の対象にもなれば分析の対象にもなる。
鑑賞するにせよ分析するにせよ、事実関係を把握したいと考える際には感情移入は避けられない。
上記の事件、父親の暴力を新聞やテレビは伝えたのだろうか?
父親の暴力の存在を知らずに事件の概要を聞かされるのと、そうでないのとでは受ける印象は180度違うのだ。
世の中にはこのようなことがたくさんあるはずだ。