日本でビジネス論やイノベーションを語る際にしばしばその名が出てくるのが松下幸之助を始めとする有名企業の創業者。
生い立ちが貧しかったり、決して恵まれた環境で育ったわけではないにもかかわらず自分の事業を発展に導いたプロセスや取り組みこそが重要だと、論が展開される。
それらのほとんどは分析はできているかもしれないが、再現性があるとは思えない、というのがずっとわたしの意見だった。
ただそう思っているだけで、その再現性の無さを上手に説明できるわけではなかったが、今朝見たツイートに見事な答え(わたしにとっては)が出ていた。
暗黙の秩序。チキン言論人がリスクゼロの森さん批判に熱をあげるが、日本社会の構造問題に触れない pic.twitter.com/V0rxUS4WJN
— 宋 文洲 (@sohbunshu) 2021年3月5日
ツイートの本文ではなく、添付されてる記事に注目!
前後も読んでほしいが、ポイントだけを切り取ると、
もう本当に腑に落ちる話だが、言われてみると『なるほどな』と思えるこの話に、自分から気付くことはなかったことが残念でもあった。
日本の高度成長は、戦争からの復興と教えられてきたし、そう思っていた。
しかし、実際には、敗戦で占領されていた時に、戦争前の日本社会の体制や仕組みが壊されたことで日本は成長できたのだが、敗戦後に占領されず、旧体制のまま復興せざるを得なかったとしたら個人的には北朝鮮と似たような国になっていたのではと感じられる。
つまり、松下幸之助の成功は、本人の才覚や努力はもちろんあったのだが、たまたま起きた体制の変化を追い風にした下克上でありアメリカン・ドリームだったのだ。
そういう目で見ると、成功とは、努力という観点で捉えるよりも、タイミングという観点で捉える方が的を射てるように感じる。
そういえば、最近は(わたしが最初に聞いたのは2015年頃)アメリカですらアメリカン・ドリームは夢物語になっているらしいという。
自由の国ですらタイミングは減少しているのかもしれない。
何かが大きく変わるかもしれないと感じた2011年の東日本大震災からの復興が、新しい何かを日本にもたらしてる印象はない、1995年の阪神大震災の時もだ。
それは、どちらの大地震でも日本そのものの有り様は全く変化しなかったからで、あったのは犠牲や被害や損失だけだったからなのだ、と感じてしまう。
何かを目論んだり目指したりする場合、頑張りや努力はもちろん必要だろうが、それを遥かに上回って大事なことがタイミングなのだ。
この場合のタイミングについて考えていると、スティーブ・ジョブズの『点と点は後からつながる』に似てるような気もしてくる。
努力や頑張りという観点で捉えると、同じことをすれば再現性があるように感じるが、現実的には再現性は小さいことが多いところを見ると、やっぱり重要なのはタイミングを掴むことなのだ。
あの時がそのために最適なタイミングだったというのは後から分かることであって、現在進行形では分かりにくいのが現実で、バクチを打ってるようなものかもしれない。
タイミングを掴むという観点で世の中を捉えると、皆がやることよりも、誰もやらなそうなことを考える方がおもしろいのかもと思えてくる。