病気やケガの治療や回復を目的とした場合の医学には、万人に等しく結果が出ることを期待するし、それは難しい要求ではないように感じるが、残念なことに治らない人はいる。
同じ医学を駆使する場合でも、トッププロのパフォーマンスをさらに向上させるという目的の場合は果たして上手く行くかと懐疑的になる、アマチュアをプロにする程度ならば有効でも。
海外のオリンピック選手の中には医学の産物と言われる選手がかつてはいたが最近は聞かない。
人間という抽象化した存在には有効性が期待できても、ひとりひとりに対して有効かといえばそうではないケースは少なくない。
これは医学に限ったことではない、多くの人が経験を通じて実感してるはず。
その違いはなぜ生じるのか?
考える葦である人間は、才能や努力や運の違い故だと考え納得しようとしてきた。
そして現代では、才能や努力や運以上にお金の違いが大きいと感じるようになっているようだ。
お金を得るために才能や努力や運が必要だとなっている。
これは、関わってる人間関係の影響が大きい、関係性は双方向とは限らず、中には一方通行のものも含まれる。
才能や努力や運やお金を持ってるという自覚のある人が密かに恐れているのが、『いつまでもあると思うな』や下剋上。
突然のひっくり返しは、人間相手あるいは人為性に起因するとは限らない。
自然災害やそれを超えた天変地異もある。
前提条件が変われば持ってることが重荷になることもありうる。
日常の関心事のベクトルの反対側をセットで意識しておくことは新鮮な刺激になるだろう。
持ってないと思っていたが、持っていたと気づけるかもしれない。
持ってるけどそのことにありがたさを感じてない中にはきっとお宝の一つや二つはあるかもしれない。