違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

運を呼び寄せるのは実力ではなく信念

サッカーW杯の解説が話題になってる本田圭佑さんが「PKは運だ!」と連発してるのを聞いた。

 

実際に運なのか、それとも運じゃないとすると実力なのか?

 

PKを見てる場合、ボールを蹴る側の立場に立って感情移入することが多いが、実は孤独な戦いを強いられているのはむしろゴールキーパーだ。

 

PKが運ならば、キーパーだって運に頼らざるを得ない。

 

キーパーの権田選手は敗戦の弁を次のように言っていた。

 

『悔しさが大きいですね。僕らはベスト8にいくところを目指していた。僕自身がもうひとつやらなければいけなかった。あまりうまくしゃべれないですが、全体としてあげていこうと決意しました」

 

「この4年できる限りやってきたが足りなかった現実がある。明日から一日一日大切にして、4年後、守れるGKにしたい』

 

 

内心では運が悪かったと思っているけど、それだけは言ってはいけないという自制心も感じられる発言だ。

 

 

PKは運ではないと言い切る人もいる。

 

 

 

スポーツやビジネスに限らずあらゆる分野で運なのか実力なのかという議論は多い。

 

そして多くのケースで運も実力のうちで、実力があるから運を呼び寄せられるとまとめられることが多い。

 

予選であるグループリーグE組にドイツとスペインがいた時点で多くの人が決勝トーナメントへ行くのは無理だろうと思っていたはず。

 

クロアチアチームで前回W杯の最優秀選手に選ばれたモルドリッチは日本チームについて次のように言っている。

 

『なぜドイツとスペインを倒すことができたか分かる、(プレーの)質の高さを示していた」と日本をたたえる一方、「PK戦では、私たちの信念が上回ったと思う。クロアチアの方が勝ち進むのに値するチームだった』

 

 

 

対戦相手として日本には十分な実力があったことを認めている。

 

モルドリッチの言葉を借りるならば、私たちが運と呼ぶものは信念と言えるのかもしれない。

 

思えば、運も信念もタダだ。

 

しかし、どれだけ大金を積んだからといってそれだけで高まるものではない。

 

信念があるということは疑念がない状態だ。

 

辞書的な信念は、反対語として疑念を持つ。

 

そう言う意味では、真の信念を知らない人がほとんどだと言うことだろう。

 

勝った後に「勝つと信じていたよ」と言うのは、おそらく勝利を内心では確信できなかった人の発言だと、今なら分かる。

 

運は実力というよりも信念が呼び寄せるのだ、この場合の信念は反対語に疑念を持つような弱々しい存在ではない。