違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

失脚する論客と一連の詐欺の実行犯の姿がダブる

『日本の論客とは?』と問われて誰を思い浮かべるだろうか?

 

もちろん、その答えは誰であっても構わないのだが、露出が高いメディアで自説や持論を堂々と声高に語る人であるというのが共通点だろう。

 

その姿をメディア越しにあるいは講演などで直接見たりすると、その姿は主役感が強いはず。

 

 

しかし、ここに来て各界のいろんな人が論客として自分が発した言葉で躓いてる姿を見てると、この人たちは主役ではなく誰かに都合良く使われているだけの脇役であり、使い走りの役目しか与えられてない存在なだけではと思えてくる。

 

現代人の特徴としてスマホ脳というのがあるが、これは知識や情報はどんどん吸収し武装するが、それに反比例するかのように「考えない」が身につくのだ。

 

 

 

 

冒頭の問いに戻ると、いちいち名前をあげたりはしないが、おそらく皆さんが脳裏に思い浮かべるような人たちで、多くの人が共通して思い浮かべてるような人たちだ。

 

声高に賢そうに展開する論は、ボケ〜っと受け身で聞いてる分には耳心地が良いかもしれない、しかしそれを誰かに言わされてるとしたら、あるいは忖度しながら言ってるとすれば興醒めだ。

 

 

言葉で躓く人に共通してるのは、聴衆や大衆から見放されるというよりも、メディア等から発言の場を奪われることの方が目立つ。

 

表面的に見ればメディアに都合良く使われていただけの人が切られたと見えるだろう。

 

しかし、そのメディアも誰かに都合よく使われてるだけの存在で、その誰かに忖度した結果、目障りで邪魔なゴミを追い払ってるだけということもある。

 

 

一連の詐欺グループの現場の実行犯が捕まっても捕まってもすぐに補充される姿ともダブる。

 

 

それなりに勉強し、それなり以上の学歴や職務経歴を手にしても、残念な生き方しかできない論客という人種と、運悪く失敗続きの人生の結果悪の道に入ることしかできない犯罪者が、世間の目から見ると大差ない。

 

そんな時代が今の日本なのだ。