タイトル通りの問いをChatGPTに投げてみた。
その結果、一定ではないという前提で以下の4つの項目が関係すると挙げてきた。
費やした時間という量の問題以外に質も問われるという意味だろう。
- 努力と熟練度
- 目標の明確さ
- 効率と生産性
- 外部要因
1、2、3、は主として自分でなんとかすることで、4は自分ではどうしようもないこと。
このChatGPTの回答に対して誰でも分かってる陳腐な優等生的な答えだという印象を持つ人は多いかもしれないが、私は妙に感心してしまった。
それはずっと思っていたことと結びついたからだ。
何かに一生懸命打ち込んだ経験がある人ほど、筋トレを覚えるとのめり込むという話だ。
一生懸命に打ち込む何かとは、なんでも構わないが、受験勉強やスポーツや仕事などが一般的だろう。
一生懸命何かに打ち込んだ経験がある人ほど、周りの人からどう見えていたかとは別に、『やってもやっても成果が上がらない』あるいは『やればやるほど悪くなる』というジレンマを抱えたことがあるはず。
しかし筋トレは、掛けた時間と得られる成果や結果がほぼ正比例するという印象を体感できるのだ。
この正比例してるという実感を得るためには最低でも3ヶ月から半年という時間は掛かるが。
掛けた時間と得られる成果や結果が正比例してると気付いた瞬間に、『こんなの初めての体験だ』と感動するのだ。
その感動は、もっと上を目指したいという気持ちよりも、ここで満足してやめたら全てが無駄になるという思いの方が強く、やめるなんて勿体無いという意識になる。
全盛期を過ぎたプロのスポーツ選手の中にも、筋トレで肉体改造する人はいるが、ほとんどのケースで本業の成果には反映しない、そういう意味では筋トレをスポーツというジャンルに分類するのは違うような気がする。
少なくともスポーツ選手が筋トレを取り入れるのは落ち目になってからでは価値はないのだが、成長期に取り入れることも害があると言われている。
つまり、スポーツに関する限りは筋トレは掛けた時間と発揮するパフォーマンスの間には微妙な関係性があるのだ。
筋トレの場合、掛けた時間に比例するのは筋肉の量だけと思った方が良い。
それが良いか悪いかは全く別の話。
費やしたり掛けたりした時間と得られる成果や結果には負のものもある。
地球温暖化だって掛けた時間の結果の産物だし、積み重ねた生活の結果が後悔先に立たずの病気に繋がったり。
どちらも後戻りができない段階になって初めて現象(つまり負の成果や結果)は着々と進行していたことを思い知らされる。
実感できるかという意味では必ずしもそうではないが、きっとやったらやっただけの成果や結果は出てるのだ。
費やしたり掛けたりした時間に対して成果や結果に満足できない場合は、ChatGPTが挙げた4つの項目を振り返ると良いかもしれない。
費やしたり掛けたりした時間に対して得られる成果や結果が満足できないからと合理的な損切りをすることは、実はもったいないことなのかもしれない。