デフォルト(default)は債務不履行を意味する。
借りた金を返さない、約束を守らない、という意味で使われる。
スポーツだと棄権やリタイヤを意味するのは、スポンサーやファンを含めて競技そのものを裏切るという債務不履行だという意味なのかもしれない。
そしてそれ以外で現代人がよく使うデフォルトに、『最初の設定』という意味がある。
パソコンの普及とともに認知されたことばで、メーカー出荷時の設定であり、購入時の設定のまま使ってることに対して用いられる表現。
このことに対してなぜ悪いニュアンスを持つデフォルトが用いられるのかというと、欧米的な考えでは使い勝手が重要なものは自分好みに設定を変えるのが良いに決まってるという前提があるから。
設定をデフォルトのままで使ってるということは、自己主張がまるで無い、あるいは自分の意見や考えが無いという意味になり、個人の自由だなどという以前に軽蔑の対象にすらなる。
つまり、使われ方によって意味が異なるように一見見えるが、やるべきこと、あるいはやった方が良いことを、しない、しようとしない事がデフォルトなのだ。
PCやITデバイスを自分好みに設定を変えないことがデフォルトと呼ばれるのに対し、家電や車やその他何らかの安全基準が設定されてるモノに対して施されるアレンジは『違法〇〇』などと呼ばれることも多い。
動機が自分好みの追求であっても。
最近話題の女優とシェフの不倫。
これに関して多数の記事が上がっているが、その中におもしろいものがあった。
不倫が発覚する直前のテレビ番組でのその女優に関する話。
「デビューした16~17歳当時、同い年だった岡田准一とよくノートの貸し借りをしていたそうです。当時のノートに広末が『二兎を追う者だけが二兎を得る』と書いていたことを岡田に指摘されると、彼女は『その頃は三兎も四兎も追いかけていた。仕事、夢、友達、恋愛…全部追っていいんじゃないかとおもっていた』と告白していました」(同前)
複数の興味や関心を持つ事が悪いわけではないし、それらを両立させる事だってできて不思議はない、しかし何らかの線引きや節度は必要になるのだろう。
しかし、線引きや節度を間違えると興味や関心は兎になるのだ。
2012年に亡くなられた政治評論家の三宅久之さんがよく言ってたのが、『結婚とは男と女の独占使用契約』。
わざわざ独占使用契約してるのだから。
だから不倫はダメなのだと。
不倫は(結婚の)デフォルトなのだ。