1998年(平成元年生まれの子供が9歳になる頃)、ユニクロのフリースが大流行していたことを昭和生まれの92、3%が知っているという調査記事があった。
<参考>
20年前に一世を風靡した「ユニクロのフリース」が今、若者を中心にヒットの予感? DIME 2018.11.07
フリースの大ヒットでユニクロというブランドや会社を知ったという方も多いだろう、私がそうだった。
しかし、店名をユニクロと名付けたのは1984年でフリースをヒットさせる14年も前で、創業に至っては1949年だった。
ユニクロが今の地位に辿り着くための入り口は1998年のフリースだと言えるが、この頃を思い出すとユニクロのイメージはフリースのみだったのだ、決してそんなことはないはずなのに。
個人的には、ユニクロの先見の明はフリースに舵を切ったことにあると思っている。
ペットボトルのリサイクル再利用から生まれたフリースで作られた服はユニクロが取り扱うまではアウトドア用品店で扱われることがほとんどで、出回る数量が少ないことも関係していたのだろうが高価だった。
安いものでも、後にユニクロが販売する価格の10倍以上はしていたのだ。
そのカラクリは、今や定番の中間コストをカットすることと、大量仕入れ大量販売による単価の低減の実現を行ったことであり、そのターゲットとしてフリースを選んだことが先見の明となる合わせ技の成功にあったのだが、これは勝てば官軍だから先見の明になったが、当初はもちろん勝算を秘めた博打に過ぎなかったはずだ。
先見の明でもう一つ思い出したのがジャパネットたかたの創業の高田社長の話。
『自社スタジオを造ったのは、新商品が次から次に出るのにテレビショッピング番組を外注していたら間に合わないと思ったからで、これがなければ今のジャパネットはなかったでしょう』
と、コロナ禍の新しいビジネスコミュニケーションに関しての対談記事で語っていた。
Wikipediaで見ると、ジャパネットが自社スタジオで番組を自主制作し始めたのは2001年だとある。
外注やアウトソーシングがコスト削減や業務の効率化として持て囃される風潮の中で、コスト削減だけでなく業務のスピードアップのためにアウトソーシングをやめるという先見の明が感じられる。
このジャパネットの自社スタジオ運用の話で思い出したのが矢沢永吉。
日本ではコンサートを開催する場合、普通は興行会社に依頼するのだが、矢沢永吉は興行会社に不信感を持ったことと、もともと持ってる自前主義で、何から何まで自前で展開し、コンサートは満員なのに収支は赤字という経験をしたことがあるが、このことが興行界には『アーティストなんてどうせ一人では何もできないから黙って俺たちの言うことを聞け』という価値観があったのだが、それを『矢沢永吉にだけは逆らってはいけない』と変えさせたのだ。
お金の損得では必ずしも得になってない面もあるが、それを補ってあまりある生き様のアピールになり、他のアーティストには真似のできない地位を築けている。
こうやって考えると、先見の明とは結果オーライで初めて成り立つもので、やり始めた最初の段階では勝算があろうがなかろうが博打なのだと分かる。
先見の明への第一歩には度胸が問われそうだ。