人間の心身の状態は常に変化していて、その変化には一定のリズムがあるとするのがバイオリズム。
身体リズムは23日、感情リズムは28日、知性リズムは33日の周期をもつと提唱されてるが、いわゆる似非科学の扱いだ。
証明されてないという意味では似非科学かもしれないが、生きていると自分の身体や感情や知性が常に揺らいでいたり、思ってる以上に不安定だと気付く。
フィジカルの維持に努力してるトッププロスポーツの選手でも体調や発揮するパフォーマンスにむらが出ることを観客として見てるだけでも気付く。
人間が、身体や感情や知性を常に一定レベルで安定させることは不可能なのかもしれない。
だから、『あの人が!』というような人ですら事故やミスを起こすのだ。
だとすると、その揺らぎの範囲を一定に抑えることができるかどうかは重要になるだろう。
心身の状態がこの範囲を下回らなければ発揮するパフォーマンスの合格ラインはクリアできるという基準を自分なりに持ってる人も多いだろう。
それらの基準は科学的なものなどばかりではなく自分なりのジンクスも多く、靴下を右足から履くか左足から履くかはいまだにトップスポーツ選手でも頼ってると聞く。
つまり、個人差が大きいかもしれないがそれぞれにとっての信頼の許容範囲というものの存在が見えてくる。
もちろん現実には、許容範囲自体が揺らぐのだろうが。
同じ理屈が良い方向に働くと、とても出来っこないようなことができるということも起きるだろう。
出来た当人にも、周りの人にも不思議な出来事は奇跡と言われたりする。
実際に出来たことなのに再現性が低かったり不可能なのは、様々な偶然やタイミングの妙が重なったからで、一度自転車に乗れたらその後は乗れるのとは大違いだ。
初詣に行く(行かない)のはなぜか?
宝くじを買う(買わない)のはなぜか?
人間が選択を迫られる時に起きているのは、許容範囲に対する葛藤で、自分の許容範囲と別の誰かの許容範囲がズレてる時に生じるように思える。
エビデンスや確証を求めてるようで、気持ちの落とし所が決まらないだけだという場合も少なくないのだ。
現代人は理論武装しがちだが、その割には精神的に不安定なのは、許容範囲が揺れ動き過ぎるからのように感じられる。