今年の年明け頃に、家の近くのクリーニング屋が6ヶ月後に閉店するとお知らせを出していた。
それを見て逆に、ここまでよく保ったなと思っていた。
戸建て住宅地ばかりのエリアの店舗だったから。
クリーニング店“三重苦”物価高に在宅、節約… 倒産“最多ペース”
個人的にクリーニング屋を使う頻度が激減したのが90年代半ばから、その頃Yシャツに形態記憶で家庭で洗濯できるというものが出始めた時から。
試しに買ってみたら便利だったし、家庭で洗濯してもなんの不都合もなかった。
当初は普通のクリーニングが必要なシャツよりも割高だったが、ごくたまに安売りしてることがあったのでそういう時にまとめ買いしてYシャツはすべてクリーニング不要にした。
生活必需だったクリーニング屋を利用するのは季節終わりにスーツを出すだけになり、やがてそれすら激減した。
オシャレな人や服へのこだわりが強い人は私服もクリーニングに出すのはごく当たり前だった時代から、ユニクロを始めとするファストファッションが主流になると、服をクリーニングに出すという文化は急に縁遠いものになったように感じる。
ジャンルは全く違うが新聞も似たような運命だったなと感じる。
読まなきゃ遅れた存在になるから読まれていたが、速報性でも詳報性でも新聞が遅れた存在になると、紙に印字されてるということに価値を感じる人以外は価値を感じなくなるのは必然だ。
その必然は、クリーニング屋や新聞が努力を怠ったからなどではない。
もちろんビジネスの展開としてはツッコミどころはあるだろうが。
儲けや投資を煽る話は多いが、それらに関連する最前線の現場ではコスト削減の嵐が吹き荒れているのが日本。
一方、必要なコストはどんどん上積みするのが海外だが、このやり方も巡り巡って最後は自分の首を絞めるところに行き着く。
資本主義や自由主義が行き着く果てに辿り着くと戦争に活路を求める傾向がある。
戦争するということは敵がいるということを意味する。
ロシアがウクライナに攻め込んだ時は、ロシアや中国や北朝鮮を敵とする戦いが避けられないのかもと感じたが、それよりも世界共通の敵として地球温暖化や化石燃料に対する不安の方が大きいのかもしれない。
当初は化石燃料に対する不安は埋蔵量に対する不安だったが、どうやら埋蔵量よりも掘り出すための掘削コストの上昇が大きな課題になってるようなのだ。
今後化石燃料の価格は下がらないで上がり続けると達観した方が良い。
世界が一気にEVに舵を切った時先頭に立ったのはヨーロッパだった。
わたしの印象では2016年頃から。
日本より寒い国が多いヨーロッパではEVは不利が多い。
その不利を理解した上で、その不利が許容範囲だと考える人がEVを購入している。
その購入理由は単純に燃料費というランニングコストがガソリンや軽油に対して充電の方が圧倒的に安いから。
クリーニングや新聞が廃れるのは掛かるコストを高いと思わせる社会背景や時代背景があるから。
自らが負担するコストとそこから得られるメリットを天秤に掛けて釣り合わないと思われてしまうと廃れるのは宿命で、努力が不足してるというのとは違う。
自分の給料に不満がある場合、会社や経営者は自分の働きっぷりや貢献度に不満を感じている、ただ単純にそういうことだし、場合によっては最初から期待などもせず誰がやっても結果は同じという仕事しか与えていない。
自分の働きっぷりや貢献度に自信がある人は、不満を感じる所には長居はしない。
逆にいうと長居をしようとする人には他人とはあまり共有共感し合えないような自分だけの理由があるはず。
人間だって動物である以上イヤなものからは逃げたい。
ただ、何がイヤかは人それぞれなのだ。
現代人はイヤなものにはコストは掛けない。
イヤということは価値を認めてないということでもある。
好きなものにコストを掛けたいという思いよりも、イヤなものにはコストを掛けたくないという思いが勝っているのが現代なのだ。