今や健康や長寿に関して、掛けた医療コストを尺度とする考え方を当てはめることは珍しくないし、そんなやり方が説得力すら感じさせるようになっている。
しかし、そんな理屈はアメリカには当てはまらないらしい。
What's going on here? pic.twitter.com/3jwbRazJhc
— Andy Tran (@andy23tran) 2022年7月13日
アメリカだけが例外なのか?
それとも日本を含めて他国も時間差でアメリカの後を追うことになるのか?
そもそも、健康な人が長寿なイメージは容易だが、長寿だからと言って健康とは限らない。
お金に余裕があると「睡眠/食事/運動/ライフワーク/大切な人たちとの人間関係」に大きなコストを投下できるので、健康寿命やQOLが高まってより幸せになりやすいはずなのですが、十分に稼げてる人ほどなぜかさらなるお金獲得競争に巻き込まれてしまいがちなので、この点は本当に気をつけたいですねー😅
— 勝又健太|エンジニア系YouTuber|雑食系エンジニア|「Web系エンジニアになろう」著者 (@poly_soft) 2022年7月7日
賢そうな人ほど健康保険があるんだから病院を活用する方が効率的だと考えがちだ。
古来日本では長寿でかつ健康な生き方とは、医者要らずな生き方を指し、粗食で腹八分目で夜更かしせず、日常生活で必要な労働を自分の身体を動かすことでこなすというものが昔からで、このような生き方をするなら掛かる医療コストは最小限で済むし、自然と生涯現役な生き方になる。
しかし、日本でも活動や行動で消費消耗した補給以上に美味しいものをたくさん食べて、食べ過ぎたら食べ過ぎに効く薬やサプリを飲み、太り過ぎたらコストを掛けてプログラム化されたダイエットや究極は手術などで数値上の健康指標を満たすことが健康とされるようになっている。
上記のグラフのアメリカはその悪しき見本だろうし、その様は飼育されてる家畜のようでもある。
飼育されていても、それがペットであるならば健康は重要な指標だが、家畜の場合は如何に少ないコストで太らせるかが重要になる。
好きなことはしたいだけするが、したくないことは必要であっても全くしない、そのことによって生じる不都合なアンバランスをコストで解消するという考え方は賢いのかそれとも愚かなのかが今問われていそうだ。
国家や政治から国民を見ると、きっとペットというよりも家畜に近い存在なのだろう、とすら思えてくる。
そんなの嫌だと思うなら、しっかり自分で考えるしかない。