違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

笑顔でコミュニケーションが取れてるか

キャッチボールや卓球やバドミントンやテニスのようなラケットスポーツのラリーのように、その気があれば延々と続けられそうなことは、実際にやるとなかなか続かない。

 

だからだろうが、キャッチボールやラリーが続くことはコミュニケーションがうまく噛み合ってるような快感が得られる。

 

目指すことはシンプルなのに、同じことを繰り返せば良いだけなのに、続けることが目的になるとハードルがグッと上がる。

 

続かない場合は、技量の差が大きいとか、集中力が足りないなどのせいにすることが多い。

 

 

競技になるとラリーの継続は目的にはならず、相手が取れないところを狙ったり、相手がうまく返せないように狙う。

 

ラリーの継続がコミュニケーションの継続を意味するなら、同じことが競技になるとコミュニケーションを断つことが目的になる。

 

キャッチボールやラリーの継続が目的の場合は、相手が受けやすいように返すことが基本になるが、狙いが外れることは多い。

 

狙いが外れると、相手もきちんと受けることが難しくなる。

 

どうにか受けることができてもうまく相手が受けやすいように返すことが難しくなる。

 

キャッチボールやラリーが続く場合は、このようなことがあってもうまく修正し、大半は受けやすいようなキャッチボールやラリーの連続に持ち込める。

 

うまく相手が受けやすいように返したいと思っていても、実際には相手が受け取れないように返してしまうことは少なくない。

 

 

キャッチボールやラリーであれば自分の返し方が悪かった、あるいは自分の受け方が悪かったということを理解できるが、いわゆるコミュニケーション全般に例えると、コミュニケーションがうまく取れない場合に、自分や相手の受け方や取り方に原因があったというのが分かりづらい。

 

そもそも、キャッチボールやラリーの継続を意図してるはずという前提を理解できてないことも多い。

 

キャッチボールやラリーの継続が途切れた場合、コミュニケーションがうまく取れてればお互いに笑顔で再開できる。

 

もしお互いに笑顔になれないとすれば、お互いにキャッチボールやラリーの相手としての相性は最悪だ。

 

もちろんこの関係性は変えることが可能だ。

 

 

変えることができる場合には、相手への理解や優しさが必要になる。

 

相手への理解や優しさがあれば笑顔が自然に出てくる。

 

もちろんその笑顔は嘲笑などではない。

 

 

今年の高校野球を見ていて、劣勢でもお互いに笑顔を見せる選手が多いなと感じて最初は違和感を感じたが、チームワークとしてのコミュニケーションが変化してるのではと思い始めて、きっと同じ時間を一緒に過ごす仲間としてキャッチボールやラリーをし合っているんだなと思えてきた。