無垢な子供の頃は好きか嫌いかで態度や反応が変わることはあっても、人の話を聞くような場合その内容に対して否定の気持ちはほぼ持たない。
他人が言ってる話に対して否定的な目を向けるようになるのは、騙されたりウソを吐かれた経験が増えることや、自分自身でもウソを吐くというような経験を通してだろう。
大人になると、肯定的な態度を見せる場合と否定的な態度を見せる場合の間には、好感度や評価で大きなギャップが生まれる。
詐欺やクレームを防ぐには、肯定と否定の上手な綱渡りが必要になる。
普段、最初は否定から入ることが習慣の人は、内心では否定から入る自分に自己嫌悪を持ってる場合もある、たまには肯定から入ってみるかと相手を信じて騙されるということだってあるだろう、上手の手から水が漏れるだ。
常に肯定から入る人が少し慎重になり否定の態度を最初に見せるような場合、日常的に接点が多い人だとその人に対して好感度を下げるだろう、場合によってはあっという間に裏表の差の激しい人だなどと評価されるだろう。
最近では自分自身に対して肯定的か否定的かも問われるようになっている。
自分で自分を肯定的に捉えることを自己肯定感が強いと表現し、現代を生き抜く必須能力だとされている。
自己肯定感が強いとは、別のありふれた表現に置き換えると自信があるになるだろう。
自信満々な人の自信の源は何かというと、多くの場合ただ自信があるだけで、何かの根拠や裏付けを持ってるわけではないことが多い。
また、肯定or否定の選択を迫られる場合の最大の特徴に選択肢が一つというのがある。
日本の場合、提示される選択肢が一つという場合が少なくない、つまりYES or NOだけの場合のように。
選択を肯定的に捉えるためには複数の選択肢の提示が必要だ。
その中に満足できるものがあるとは限らなくても、自分が置かれてる状況や環境がどういうものかは理解できるようになる。
理解できることは否定しようがない。
否定から始まる態度をとる場合というのは、提示される選択肢に対する不満が根底にあるのだ。
これに対処するためには選択肢を提示されるより前に、自分で常に複数の選択肢を持つことだ。
こういう選択肢は、戦略や戦術を語る際のプランAやプランBあるいはプランCと全く同じだ。
プランAが怪しくなったらプランBに、プランBが怪しくなったらプランCへと変更する、つまりプランのサーフィンで、プランAとプランBやプランCは全く無関係ではない。
目的や目標は同じというのが大前提になる。
目標はおろか目的すらない場合には複数のプランは存在せず、常に肯定か否定かしかなくなる。
肯定か否定かで悩む時は、目的や目標に立ち返ろう。