時々思い出したように話題になるのがトロッコ問題。
トロッコ問題とは、
「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験。
今年は4月に続いて9月にも話題が勃発。
GoogleTrendsで直近1年の動きを見ると、9月は4月に比べるとかなり盛り上がっていることが分かる。
9月の話題の原因は次のニュース。
【物議】小中学校の授業で「トロッコ問題」、学校が謝罪https://t.co/L0yRIpEnte
— ライブドアニュース (@livedoornews) October 1, 2019
選択に困った時、周りに助けを求める大切さを教える目的だったという。保護者の苦情を受け、学校側は「心理的不安を与えた」と謝罪。 pic.twitter.com/bsZfdV3ARu
トロッコ問題が議論される場合、課題は大きく二つに分かれる。
- 助ける命と犠牲にする命の選別
- 前提条件にどこまで従うか
前提条件に従えば誰かの命を犠牲にする必要がある、それで命の選別をどうするかを議論してしまう、9月に炎上気味に話題になったのはこのケースだ。
しかし、実際には前提条件を前提通りに進ませない方法を検討することも選択肢に出てきて構わないはずなのに、日本人は頑に与えられた前提条件に従おうとする傾向が強い。
こういうことにはお国柄が出るらしい。
てか、今回もそうだけど、トロッコ問題とかの「現実的解決」を日本人に求めるときの最大の問題は、日本人の多くが現実の場合でも与えられた設定は変えられないと思い込みやすいこと。アメリカ人や中国人の多くは、解決不可能に見える課題を与えられると、解決可能になるよう設定条件を変えようとする。
— Mitsuyasu Sakai/堺三保 (@Sakai_Sampo) April 13, 2019
トロッコ問題に名解答を思いつくことと、イノベーションを描くことは共通点があるように感じられる。
大上段に振りかぶってイノベーションを論ずるような場合にイメージするのは不可能を可能にするようなことで、別の言い方をすると「夢を語る」と言ったりもする。
イノベーションってこれは出来ない。あれも出来ない。って考え方じゃ生まれないものでさ、実際不可能だと思ったことを可能にするときにこそスティーブ・ジョブズが生まれるんだと思う。だから、誰しもスティーブ・ジョブズになれる可能性があるんだよ!!!!!!!!!!!!!!(意味不明
— Kazuki Todo (@__k_u_k__) August 14, 2019
そして、このようなアプローチは基本的な人間関係の中での振る舞いにも当てはまりそうな気がする。
こんな話があった。
「幸せな結婚」の重要なファクターとして、2人の間で明確な答えの出ない議論は避けるべきなのではないか
人生にはトロッコ問題のように、前提条件に従えば選択できない選択肢ばかりが突き付けられることは珍しくない。
そんな時は、前提条件を変えることを考え、それを実行することはあって然るべき選択だと思うが、日本人にはこの簡単なことができない人が多いのだ。
まるでサーカスの象だ。
「サーカスの象が鎖を壊して逃げないのはなぜか?」という例え話が深いhttps://t.co/SvqxdYQgh3
— sakamobi.com (@sakamobi) July 22, 2017
この話昔から何度も見てる。そのたび思うのは人間の場合、反骨精神が沸き起こるタフなタイプもいるわけで、像と人間を比べるのはそもそも間違ってるんじゃないかってこと。 pic.twitter.com/xbltnrX2Qd
サーカスの象は脚に鎖を付けられているが、その鎖は象の力で簡単に切れる程度のもの。
トロッコ問題で提示されてる選択肢のどれも選択できずに悩む場合は、前提条件という簡単に切れる鎖に縛られているだけの場合が多いのだ。
前提条件に従うとどの選択肢も選べない場合は、提示されてないだけで「案ずるより産むが易し」も隠れていることを忘れてはいけない。